良心的女装と猟奇的女装

なまはげの女
http://d.hatena.ne.jp/nikuyo/20120409
という記事でも書いたのですが、
私はニューハーフさんというのは良心的な女装だなと思っています。

それは旧来の男性、女性という価値観を守って
女性的になろうとしているからです。
目指すところも、女性よりも女性らしく、
世の男性が女性に対して求める若さ、美しさを軸に
アプローチしています。

私の女装はそれを求めていません。
女性の魅力は若さ美しさだけではないと思っているからです。
強さ、自由さ、やわらかさ、感情の豊かさ
そういうところが好きだなと思っています。
それに加えて、私は何故か、旧来の価値観というものに
疑問を呈したいという欲求があります。

男は男らしく、女は女らしく、
最近ではだいぶ社会のユニセックス化が進んでいますが
それでも社会から期待をされているそれぞれの性的役割(ジェンダー)は
あります。
だからこそ草食男子という言葉で、女性的な男性を揶揄したり、
嘆いたりして、実は男は男らしくということを押し付けようと
している気がするのです。

加えて、私は肉体的には悲しいくらい過剰に男性です。
でも悲しみは裏を返せばおかしさです。
悲しいくらい過剰な男性性を抱えながら女装をする。
そこには不思議とおかしみが生まれます。

そして、過剰な男性性の肉体と女装は
私の考える多様性の共存の体現の一環とも言えます。

けっこう最近ものわかりの良い人たちの間では
多様性を受け入れる社会にしましょうということが言われていますが
多様性というのはこういうグレーゾーン、(いや、レッドゾーン?)を
抱えて生きていくということだということを突きつけてみたいのです。

女装は法を犯しません。でも社会の通念を犯すことをします。
私は社会の通念に身をもって問題提起をしたい。

生きる問題提起に進んでなる。
そういう意味では私は猟奇的な女装と言えるのかもしれないと
思いました。