美=快感という考え方

この前、ヘルタースケルターという映画を観てきました。
まあまあ面白かったです。
 
美醜の問題というのは女性にとって永遠の執着ともいえます。
私は同時におっさんだったりするので、そこまでの執着というのが
良くも悪くもわからなかったりするのですが、
何故、女性が美に執着するのかやっとわかった気がします。
 
男として育ったり、生活したりすると気が付かない点なのですが、
美とはそれ自体が快楽なのです。
(最近では男性も美にハマる人も多いようですね)
 
ヘルタースケルターのりりこさんなんかはかなりの快楽マニア。
だから男をタラシこむためだけには不必要な装いを女たちはするし、
「More」という雑誌の名前に象徴されるように
もっともっとと欲しがるわけです。
 
男をタラシこむだけなら、木嶋佳苗のスペックだって行けるんです。
それでもお洒落や美しさに女たちが走るのは
やっぱり快感だからとしか思えません。
 
そこの構図には美しいと男たちからご褒美をもらえる
という構図も、もちろんあるでしょう。
だけどもはやそんなことを通り越して女たちは美しさを磨きたがります。
それは自分の中の快楽スイッチが入って止まらないからです。
 
快楽というのは過ぎると身を滅ぼします。
 
美というのは時に自己主張であり、正しさでもあり
それを振りかざしあって、喧嘩をする人もいます。
ネットの正義と通ずるところがあって、
なんとなく単純でちょっと苦手です。
 
私は単純な美の押し付けへの反発もあり、
こういう面倒くさい状態の女装を続けているのです。
身を持って反論したいのです。
つっこみどころのある美の方が面白い。
 
私の女装は私なりの正しさの主張なのかもしれません。