なぜに鳥は海をゆけるの

お彼岸でしたので
このところ先祖のことを考えることが多くありました。
   
先祖は私をどう見ているのだろうか
私についてどう考えているのだろうか
  
これは自分の親がどう見ているのだろうか
という問いかけにも似ています。
  
もちろん先祖からの声は聞こえませんし、
私が勝手に客観視や想像をしているだけで
そこに真実はありません。
  
それでも問いかけてしまうというのは
承認欲求
で、かたをつけられる類のものかもしれません。
家族や先祖から承認されたいという自分の欲求。
自分のルーツから承認されていないと、
何処から来て、何処へ行くのか、不安になる。
  
そんなことをちまちま考えて、
ぐつぐつ煮詰まったので、
気分転換に小旅行に出かけました。
  
私はよくできた遣り口に感銘を受け、
ここ数年、毎年お伊勢参りをしているのですが
今年も出かけてまいりました。  
二見興玉神社伊勢神宮外宮→猿田彦神社伊勢神宮内宮
  
すごく北風が強い日で
「風に飛ばされそうだわ、まるでメリーポピンズね。」と
一人誰にも聞かれないようにキャッキャ言って旅をしていました。
これをアラフォーのおっさんが一人でやっていたというのは
おっかない話ですね。
  
朝からの行動で寒い&よく歩いたので疲れてしまい、
その夜は本当は名古屋の釜愚痴ホモ恵さんとアンジェリカさんのお店に
ごあいさつをしようと思っていたのに
ホテルでお風呂に入ったらベッドで眠りこけてしまいました。
  
でもその日は風に吹かれて
天気も良く、空も緑も綺麗で
心のモヤモヤも少し洗われた気分になりました。
内宮の参拝を終え、宇治橋を渡っているときに
ふと、
 
捨てる神あれば、拾う神あり
 
という言葉が自分の頭に浮かびました。
  
誰かの承認欲求を満たしたいがために
自分を変えるのではなく
捨てる神がいれば、拾う神もいるさ
という心構えで生きた方が楽だし、
自分も納得がいくんじゃないかと。
  
楽といっても怠惰ではなく
ずっと仕事をしていくわけですが
自分の意思や感情を
誰かからの承認のために押さえつけるのではなく
解き放ちながら力が出せたら なんてことを思いました。
  
もし死んでたとえ先祖や家族に受け入れられなくても
誰か他に受け入れてくれる人がいるんじゃないだろうか。
最後の女神はいるのではないだろうか。
  
女神のアマテラスさんにお伺いを立てたからか
自分にとって都合のいいことを考えていました。
  
もちろん頭の中のBGMはみゆきさんの「最後の女神」です。
ベタですかね。
  
自分の承認欲求について
悶々としていたものが少しすっきりしたので
旅をして良かったなと思います。
  
ただ、今回初めて二見浦に行くのに
はじめて名古屋から近鉄ではなく
JR東海の関西線の快速みえを使ったのですが
大分差がありますね。名古屋からすぐのところから単線になるなんて。
びっくりしました。がんばれ!快速みえ!