多感は若者だけのものではない

今、いろいろなドラマがやっていて
それなりに見て、勉強になったり、感心したり
ということもあるのですが、
今までで一番好きなドラマをあげよ、好きな映画をあげよ
と言われると、私の場合、一番辛く、しんどい時に見ていたものになります。
  
すいか 年下の男 トーチソングトリロジー
  
「すいか」というドラマは木皿泉さんが脚本のドラマで
「年下の男」というドラマは内館牧子さんが脚本のドラマで
「トーチソングトリロジー」はアメリカの女装芸人さんの映画です。
  
「トーチソングトリロジー」はゲイを受け入れるための葛藤を
最も抱えていた時期に見たものですし、
「すいか」と「年下の男」は
20代後半時期の自立、踏ん切り、ターニングポイントの時に
見たものでした。
  
私の場合、辛い状況というのは肉体的に辛いというよりか
これから自分がどうなってしまうのか、どうしたいのかを
ハッキリ決められない時期とでもいうのでしょうか。
  
肉体的な辛さは休養やペースを検討すれば何とかなりますが、
行き場のわからない漠然とした不安というのは
物凄く人から体力や気力を奪っていくように思えます。
  
私は19歳の時に友人からため息ばかりをついていると
指摘されたことがあります。
10代の少年がですよ。いつも疲れてため息ばかりをついていた
ということですから、どれだけのオカマを受け入れるのに
エネルギーを奪われていたのでしょうか。
  
結局はその沼のような、ぬかるみのような場所から動き出すのは
覚悟
とでもいうのでしょうか。
反動が強すぎて、ハードな女装になってしまいましたが。
  
その覚悟を決めるまでに悶々としている時代は
何かにすがりたい、何かからヒントを得たいと
物語や作品世界に期待し、一言一句見逃さないように
見ていたように思います。
  
もしかしたら、「多感だったから」という一言で
片付いてしまう問題なのかもしれません。
でも
「多感になる」ということは必ず理由があって、
何かを決めたい、判断したいという時にヒントを得ようと
必死にアンテナを伸ばしていたからということだと思います。
  
「多感」というのは若者の特権ではありません。
長い人生、なにかを決めなければならない、
覚悟をしなければならないというタイミングは
何度もあります。
  
覚悟を決める多感な時にすばらしい作品にめぐり会えると
人生にとても大きな彩(いろどり)ができますね。
    
素晴らしい作品というのはいつの時代にも
必ずあります。
今の状況が辛いなと、もし思うのであれば
多感になってあらゆることを吸収し、
次の自分の血や肉を作るチャンスなんだと考えると
いろいろあっても楽しいのかもしれませんね。
  
なんて大人びたことを今日は急に思った夏の午後です。
私は今日も冷房を全く使っていません。