東電OL事件熱 再燃

最近、東電OL殺人事件の新証拠が出たというニュースがよく流れています。
私はこの事件の当時97年はバカな女子大生だったので、
あまり関心を持たなかったのですが、
数年前桐野夏生さんの「グロテスク」を読んでから、
とても気になる事件となっていました。

正直、真犯人が誰かとかそういう推理小説的な興味はありません。
新証拠にもほとんど興味がないですし、今後の裁判の展開もあまり興味がありません。
あの日殺されなかったとしても
遅かれ早かれ彼女は破綻していたでしょう。

でも
彼女の抱えていた暗澹
同時に放つ眩いまでの煌き
世の不条理に対する虚無感
ある意味感じる爽快な疾走感
それを言葉にするならば「業(カルマ)」というべきでしょうか。
その全てが不思議な引力をもって私を強く引きつけます。

私も母親に褒められたくて、同じ学校に通ったクチです。
私の場合は自分の性的指向が周囲と違うことに気が付き
そこからワインディングロードを辿りましたが、
もしも私が女で、
あの時代にあんな風に正面から男社会にぶつかったら、
どうしていただろうということを考えずにいられませんでした。
彼女はもう一人の私に思えました。

私も手帳に「負けたくない」ということを書いていたクチです。
周囲からイタがられているのも気付かずに、必死で走っていたクチです。
階級社会に気付かず、吝嗇を当然のようにしていたクチです。

とにかく自分と重なる部分が多過ぎて、
彼女の憤りや諦め、怪物への変身の理由が身に沁みて、
何故か泣けて泣けてしかたありませんでした。

私は偶然にも男で
組織ではそれなりに守られてきました。
売春をすることでの世の中への復讐というのも
男であるため、意味合いが異なってくるのでしていません。
何よりも売春ということをするのに
こんな生半可で優遇されている自分はいけないと思い、
やっていません。昔から娼婦に対するリスペクトが強過ぎるのかもしれません。

私がしなくてもいい女装を続けて、
ニューレディーとして世の美醜の基準や常識に問い続けるのも、
彼女のスピリットを忘れたくないということにあるような気がします。