自己顕示とその理由

私は何故ニューレディーとして活動しているのか。
ここのところ、また考えていました。
 
ちょっと飲みに行った酒場で、
今の若い子はあんまりドラァグクイーンをしない。
何故、あなたは人前に出て女装をするのか?
と問われました。
 
私はゲイを受け入れるまでにたまったルサンチマン
今より昔の方が大きかった。その爆発だ。
とその場では答えましたが、
よく考えると私よりゲイを受け入れるのが困難な人は
たくさんいたはずです。
 
なのに私は何故このブログにしろ、ショウにしろ、
言ってみれば自己顕示を続けるのか。
その理由は何なのか。今日、夕方自転車を漕ぎながら
ちょっと思い出したことがあります。
 
それは今まであまり語ることのなかった
もうこの世にはいない父のことでした。
 
父はとある事情で障害を抱えて生きていました。
私は障害者の息子として、道を踏み外してはいけないという
自制心を強く持っていました。
私が道を踏み外したら、母が家族が、やっぱりねと笑われる。
 
今まで、気が付かなかったのですが、よく考えると
ゲイである自分を受け入れたのも父が亡くなってから。
女装をしたのも父が亡くなってから。
私の本当の人生はある意味父の死を境にはじまったのです。
 
死があるから生が輝く
 
別に父は私に何かを強制したわけではありません。
でも私は馬鹿にされてはいけない、
負けてはいけない、その気持ちがとても強かったのだと思います。
それはその父を抱えた母の背中を見ていたからかもしれません。
 
父の死をきっかけに、私は押さえていたお調子者体質を解放し、
女装を始め、いつしか表現することの魅力に取りつかれていった。
そうして私は今日もブログを書き続けたり
女装を続けているのです。
 
今日、夕焼けが目に沁みる靖国通りを自転車で漕いで
思い出したことです。
涙なんか流していません。
ただ太陽が眩しかっただけです。