エレガンスとユーモア

前回記事の続きです。

かましさ、野心を持ちつつ、
愛される理由(二谷友里恵先輩著)
 
私が何度か書いていることなのですが
それこそがエレガンスとユーモアです。
  
振舞いの美しさ、受け答えの美しさというのは
野心が持つ厚かましさを大きくカバーします。
 
表現の面白さ、楽しさというのは
欲望や矛盾を客観視して、
笑いながら共感を生むことができます。
 
つまりエレガンスとユーモアというのは
自分の厚かましい欲望を
人の妨害を最小限にしながら、
実現させるためのヤリ口。
とも言えるのです。
 
私はエレガントな人、ユーモアのある人が好きです。
なぜなら自分の野心をカバーするようにその能力を磨いているからです。
野心の大きさとそれを覆い隠すカバーの力のバランスに惹かれます。
 
問題はどのようにしてその能力を身につけるのか。
 
当たり前のことですが、代償を払ってということなのでしょう。
スクールに通う、本を買う、映像作品を見る、そういう人が集まる場所に行く。
今思えば、私があの学校に入ったのも、千葉の片田舎に住み、人並みに欲望を持ち、
それを覆い隠すための知性、エレガンス、ユーモアを習得したいと思ったから
10代の一番キラキラした時期をガリ勉として過ごしたのだと思います。
 
エレガンスの習得にはお金を使うのが一番手っ取り早いですが、
身の丈に合わない使い方をすると
虚栄心という化け物に自分を乗っ取られることになります。
たとえば木嶋佳苗被告の裁判の記録を見ると
北海道の田舎から来た女が、
自分の持つ大き過ぎる野心や厚かましさを覆い隠すために、
手っ取り早く身の丈に合わない消費をしていった結果生じた
悲劇であり、意地悪な見方をすれば喜劇である。ともいえるのです。
 
もう一つのやり方は
知恵を働かせて、参考になる人を見つけて、そのヤリ口を盗みます。
言い方は良くないですが、私はよく「シンクロ」という言葉を使います。
「これは!」というものを見つけると、愛し、真似て、吸収します。
 
私が淑女的な振舞いができるようになったのも、
30代を過ぎてから、昼の仕事で尊敬できるボスを見つけて
シンクロするように努力したということがありました。
 
朱に交われば赤くなる
 
好きだなと思う人と交流していって
その人を好きになって、その人を自分に取り入れる。
生きていくことは「かまきり夫人」(五月みどり先生)のようなものですね。
私もそろそろ熟女Bです。