厚かましさを恐れない

少し前にとある政党でリーダーを争う選挙があって
昔、健康上の理由でリーダーの座を投げだした人が
リーダーに返り咲くということで話題になりました。
 
世の中の反応を見ると
良くもぬけぬけとまた出てきてという声がけっこう聞こえます。
 
私は意外とその人がまた出てきたことを面白がって見ています。
その理由は一つ。
かましくない人間は人前に出てはいけないからです。
 
正直な感想として私も厚かましい話だと思います。
その人が前に辞めた時は体調だけの問題ではなく、
メンタルまでも蝕まれて責任を放棄したようにも見えました。
良い薬ができたから、もう大丈夫って。なかなか信じられませんよね。
  
なので、世間の反応というのはまっとうだと思いながら見ています。
私も大手を振っておかえりなさいなんて言ってはいけないと思っています。
 
でも、
何かから逃げ出したことのある人間は
一生人前に出てはいけないのでしょうか。
何かから逃げ出したことのある人間は
ずっと大人しく生きていかなくてはいけないのでしょうか。
  
世間の反発や疑いというのは当然としても
もう一回
それでもやってやろうと思った人間を
私は嫌いにはなれません。
 
そしてノコノコと戻ってくる厚かましさも
私は嫌いにはなれません。
だって人前に出る人間は、
人の上に立つ人間は
かましくないと務まらないですから。
 
一国のリーダーが厚かましくなく、
ただただ良い人だったら、
どうやって国益を守っていくのでしょうか。
 
かましいと批判している人達も
本心で言っているとは思えません。
だって厚かましいと批判している人達も
逃げたことのない人はいないし、
責任を放棄したことのない人はいないし、
そのことを棚に上げて
人のことをどうこういうこと自体が
良く考えると厚かましいことなのです。
 
でももちろん批判をしている人達もそれはわかっていて
敢えて壁になっているという心意気を感じます。
だからその人たちも嫌いになれないのです。
 
今回の事象から私はどちらの立場になることがあっても
かましくなることを恐れてはいけないということを強く思いました。
そして批判をする人たちは、嫌われることも覚悟して
身を持って壁となり、その人の本気度を試してくれている
ということに気がつきました。
  
私も病を経験したことのある身で
だけど、こうしてまた人前に立ちたい、人前に出たいという気持ちを
抑えきれずに、この零細なブログを続けています。
 
かましい女装です。でも、そうしか生きられないのです。
別の世界で起きていることのようなお話ですが、
いつも自分の身に置き換えてしまう、ド厚かましいレディーでした。
世界はいつだって繋がっているのです。