鮮やかなやり口

悪女に魅力を感じてしまうのは
中島みゆきさんの名曲「悪女」による刷り込みのせいか
それとも有吉佐和子さんの傑作小説「悪女について」による刷り込みのせいか。
自分でもよくわかりません。
 
でも悪というのは非常に曖昧な観念であり、
捕らえる人の捕らえ方、
見る角度、距離、フォーカスによって変わってくるのです。
現在、悪と思われているものも、
そもそもの発端は善意で始まっていることが多いのです。
官僚制や癒着したシステム、贈収賄、虐待、モンスターペアレント
思いやりだったり、気遣いだったり、愛だったり。
 
多くの問題は最初は善意で始まったものばかりです。
だからこそ、こじれるとやっかいなのです。
 
ところで私はどちらかというと結果としての悪とかそういうところは
実はあまり興味がありません。
 
でも結果が悪にしても善にしても
そこに至るにあたり、「やり口」というのは必ずあるのです。
私は結果よりもその「やり口」にいつも注目してしまいます。
 
不思議なことに、大きな悪事になればなるほどその「やり口」は
非常に巧妙だったり、鮮やかだったり、見事だったりするのです。
そして悪女といわれる人は男社会を相手取り、
大体見事な「やり口」を見せてくれるのです。
 
切られた方も気づかないような「やり口」を見ると
感心することもしばしばです。
 
願わくば私も善か悪かは脇に置いても
鮮やかな「やり口」のレディーになってみたいものだと
常々思っております。