内在する虹

久しぶりにglobeのover the rainbowという曲を聴いていたら
昔、自分がその曲に触発されておかしな独り言を
公開していたのを思い出しました。

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水にとって、最高のパフォーマンス

蒸発し 雲になり 

雨となって 大地にしみこみ

森を潤し 街を潤し 

熱で暖められて再び上昇

空中に拡散し、

太陽の光を反射させ、

七色の架け橋を作る


自らの特性を活かし、

周囲と協調し、

力むことなく、軽やかで、甘やかで、艶やか



目に見える七色ばかりがクローズアップされているが

その現象を作りだす水の変化から学ぶことも多い


ゲイのシンボルとしてのレインボウの概念も

可視的な多様性ばかりではなく、

しなやかな水の変化に着目した方が、

水の分子である僕らの道標になるのではないだろうか

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しょっぱいですね。そしてサワー。
上記は20代後半に書いたものと思いますが
理屈っぽい私らしさが出ていて
これじゃあモテナイはずだわ、とあらためて思ったのですが、
一つだけ良いなと思った視点があります。

「水の分子である僕ら」という発想です。
「水の分子である僕ら」をもう少し色っぽくいうと
「水の化身」「水の性(さが)」とでもいうのでしょうか。

これまた理屈っぽい話ですが私達は
ほぼ水分とたんぱく質と骨で構成されています。
そこにおかしな電気信号が通ることで
おかしな意味付けが起こり、社会が構成されています。

体の60%が水分で出来ているのだから
株主総会だったら水分が圧倒的議決権を持つのです。

だから私たち自身の意思決定や日常も水のごとく流すのが
本来なのかなと最近つくづく思うのです。
高いところから低いところへ流れ、
様々なことを内包しながら、やがては大海に注がれる。
また蒸発して一滴の雨となり、
高いところから低いところへと流れる。

川をみていると最近無性に泣きたくなるのは、
その姿に人間と相通ずるものを感じるからでしょうか。

とにかく水の化身である人間は
自らの中にも虹を内包しているのです。
いろんな人がいて多様性だとか言いますが、
そもそも自分の中にも光の当たり方次第で
多様な色を抱えているのです。

だから同じ人間にいろんな顔があって、
いろんな面があって、いろんな特質がある。
全てが善で全てが良い子ちゃんじゃなくてもいいのです。

そんなことをジムで自転車を漕ぎながら考えていたのでした。