糾える縄(あざなえるなわ)

悲劇は甘美で
喜劇はほろ苦い
 
不幸を続けるのは楽で
幸福を続けるのはしんどい
 
先週の金曜日はPINK HOUSE Xにご来場ありがとうございました。
私は冒頭のことを最近よく考えるのですが、
同じ事象を一方では悲劇と捉え、もう一方では喜劇と捉えるということを
連続してやりたいという欲求に駆られ、
ついついエッサッサマンボとOn my ownという曲を連続で
PINK HOUSE Xのショウタイムでやってしまいました。
 
毛色がまったく違うショウですが
事象としてはほぼ同じことで
モテナイ女が男に振り向いてもらえないというお話です。
 
エッサッサマンボは最後、
一生一人でエッサッサーエッサッサーと
愉快に昇華したように見えますが、
何か運命を悟ったように踊り狂う哀愁を含んでいます。
 
On my ownは
ひたすらに辛い心境を嘆いていますが
美しい旋律に乗せて、ドラマチックに悲劇のヒロイン像を彩ります。
 
どちらが無理をしているかというと
エッサッサと私は思います。
だからか、このショウにはなんとも言えない愛おしさを感じています。
だけどOn my ownの捉え方も私には心地よいのです。
 
どちらの解釈が正しいとか
どちらの解釈をすべきかということを言うつもりはありません。
人はその時の気分や状況でどういう解釈をするのかを
決めていると私は考えます。
 
幸せはしんどいというのは、
その状態は身体や心に負担をかけているということです。
私の好きな歌で中島みゆきさん作詞の「激情」という曲があるのですが
「輝く星は身を焦がして光ってる」
という表現があって、まさに幸せや輝きは我が身を犠牲にして成り立つという
側面があるのです。
 
それに対して不幸は楽ですが、不幸に溺れていると負荷が少なく
幸せになるための体力や精神力が奪われます。
 
私のような凡人は結局、
幸や不幸を繰り返し、
負荷をかけたり、休んだりしながら
生きていくんだなと思います。
   
戦争→高度成長→バブル→失われた20年→アベノミクス
という好不況の波も、大きく捉えると
好景気という幸福の影で疲弊した身体や精神を
20年かけて癒す、そんな期間だったように思えてなりません。
むしろこの20年があったから、またこれから
いろいろ動き出すという風に私は感じています。
 
そう考えると止まっている時間、
落ちている時間にも意味があるようで
なんとなく、そんな日の自分も好きになれそうな気がするのです。