昇華させるか溺れるか

昨日の記事で笑うということの経路について、
また一つ新しい形に気づいた私ですが
笑いというのはよく考えると
喜怒哀楽全ての感情につくことの出来るものだなと思いました。
  
喜んで笑う
これは喜びで顔が綻ぶということからも一般的でしょう。
  
怒って笑う
これは竹中直人さんがよく笑いながら怒る人というのをやっていますが
私も怒った時にふと笑ってしまうことがあります。「やりやがったな。フッ。」
っといった具合です。
  
哀しくて笑う
歳を取るとわかるのですが、哀しい時にふと哀しい自分を笑います。
Wの悲劇のラストシーンのお別れの場面ではないですが、
泣きながら笑うということも人生には多々あるなと実感するのです。
  
楽しくて笑う
これもとても一般的ですね。もしかすると一般的にはこれが一番
自然な笑顔なのかもしれません。
 
笑うというのは品詞でいうと動詞です。笑顔は名詞。  
だから感情を表す副詞や形容詞をつけると成立するというのは
構造上当たり前といえば当たり前なのです。
 
昨日は整った快感という笑いの経路を確認しましたが
今日はその機能について考えてみました。
笑うという行為は心が動いた後に、
動いた心を清算する機能があるように思います。
言い換えると喜びも哀しみも昇華させる行為。
 
だからこそ笑い続ける人というのはなんとなくおっかないのです。
いつまでもずるずると気持ちを引きずらない、という意志を感じるので。
ちなみに、私、おっかない人、好きなんです。ふふふ。
 
でも。
時には無理して笑わないで、感情に溺れるのも
人生の醍醐味とも思います。
だから、笑うのが下手な人も私は好きなんです。
 
どちらを快と感じるかはその人の個性でしょうか。