曲が自分を助けてくれる

恥ずかしながら、私、かなり、浅田真央さんのファンなんです。
どれくらいファンかというと
バンクーバーオリンピックの時に浅田真央さんの演技を見るために
テレビなんていらないやと思っていた私が42型の大画面テレビを買うくらい。
  
その真央さんが10月5日にジャパンオープンで今季のフリー初お披露目ということで
翌日にショウを控えながらも興奮して録画したものを拝見しました。
(オンタイムはCampy! barの仕事中だったので帰ってから寝ずにそのまま見ました。)
  
私、38歳のおっさんでもあるのですが
不覚にも今回のフリーを見て、涙してしまいました。
キモイですね。
  
試合前のインタビューで真央さんが
フリーの曲ラフマニノフ「ピアノ協奏曲第2番」を選んだ理由を
語っていたのですが、
「曲が自分を助けてくれそう」という趣旨の発言をされていました。
この選択はバンクーバーオリンピックの時の「鐘」の時もそうだったとのことです。
  
ジャッジや観客へのアピールという視点も確かに大事ですが
彼女には明確なフィギュアスケート道というものが見えていて
そこに向けて技術や表現力を磨くのに、
この曲が助けてくれるという趣旨の発言をされていました。
  
この発言もそうなのですが、
浅田選手は女性らしい華やかで軽やかな外見なのに
内面はしっかりした芯があって、
「わしの選んだ道を進むだけじゃ」
という良い意味の求道者のような希薄を感じます。
  
ジャッジの際のエッジエラーと回転不足に対する厳格化や
不可思議な加点による得点操作で心が折れそうになりながらも
自分のフィギュア道を行くという気概というものをとても感じます。
そして試合後のインタビューやその他取材に対する言葉選びの的確さ。
  
言葉遣いがどうのこうのという人もいますが、
これだけ世間からの注目を浴びて
カメラの前で平常心で自分の言葉で話ができるということは
なかなかできるものではありません。
  
私もそういった批判があるたびに
「だったらお前がされてみろ!絶対舞い上がるぞ!」
といつも思うのです。
私の場合は彼女の言葉を聞いて、いつも感心したり、
自分を反省したり、気づかされたりです。
  
正直なことをいうと
昔はキムヨナ選手の方が好きでした。
でもバンクーバーオリンピックを境に断然浅田選手が好きになりました。
キム選手は一言で言うとリズム感が天才的。
感度が高いというか、音に的確に反応する能力が優れています。
それは浅田真央さんよりも私も優れていると思います。
リズム感といえば女装のリップシンクロでいうと
ダイアナ・エクストラバガンザさんも天才的なリズム感ですが
観客の心とジャッジの心を強く捉える要素です。
  
ただ、真央さんのスケーティング、複雑なトランジション
スピン、ステップ、柔軟性を見るとフィギュアがスポーツ(技術)であることを
再確認させてもらえるし、その部分に対する精進は凄まじいものがあります。
  
演技を見れば見るほど、
フィギュアに目が肥えれば肥えるほど、
その部分はとても気になる要素で、
もともとコンパルソリー(規定)という氷の上で図形を描くことの正確さを競う
というところから始まった競技だったんだということを考えさせられます。
  
曲選びも競技用プログラムは大衆やジャッジに媚びず
堂々とフィギュアスケートの王道のクラシックを選択します。
そこに伝統と威厳を重視するタチアナ・タラソワ女史が
真央さんに容赦ない振り付けを要求し、それをこなす。
プログラムからこれほど師弟愛を感じることはあまりありません。
  
志は高くジャンプは6種8トリプルを目指し、複雑なトランジション
高いレベルのスピン、ステップ、スパイラル。
まさに会うべきして会った二人が作り出した傑作だと思います。
  
そしてそれをサポートするのがフィギュアの基礎である
スケーティングを重視する佐藤信夫コーチ。
最初は断った佐藤コーチに頼み込み、託したのが真央さんの亡くなったお母様。
  
もう、全部の要素が私の心を激しく揺さぶるのです。
  
なんなんでしょうね。多分、知らないことがたくさんあるので
美化し過ぎだとは自覚しているのです。人間って身勝手ですからね。
浅田真央さんも人間ですし。
  
でも、私は勝手に心から尊敬し、敬愛しています。
これからハラハラドキドキの季節がやってくると思うと
嬉しいやら怖いやら。でもとても楽しみです。
どんな結果が出ても、愛し敬愛する心は変わりません。
  
私もいつか真央さんに堂々と会えるように
芯のある女装活動をしていきたいといつも思うのです。