軽やかに生きるための後悔

私自身は我が強いと思っているので
自分の意思で判断して生きている、または生きていくつもりですが
人生とは選ぶつもりで選ばされる手品のようだとも言われます。
    
そもそもをたどれば親子の縁から始まり
出会いの縁、別れの縁、幼い頃の家庭環境。
大人になった時もその時の体調、状況によって
出会っている縁でも別れの縁になったり。
  
よく考えると
自分で選べないものばかりで人生は構成されています。
  
そんな時に、
あったことをいちいち振り返らず、
今ここいることに感謝して運命に身を委ねる
  
なんて美しい話をして、
お茶を濁せたらいいなとは思うのですが、
往生際の悪い女装と呼ばれても
私は考えたいと思ってしまうのです、
  
選べないことで成り立っていると思える人生でも
選択の余地があったのでは? と。
  
もう少し勇気があったら、もう少し踏み込めば、
もう少し早く身を引いていれば、もう少し踏ん張れたならば、
もう少しこのようにできていたら、、、
  
いわゆる後悔です。
後悔は一般的には良い意味で使われません。
後悔している時間がもったいない
後悔先に立たずだからよく準備しておけ
等言われます。
  
でも私はそう思わないタイプの人間です。
  
後悔先に立たずで準備をするよりも
後悔しながら、反省検証し、
そこから学ぶというタイプの人間です。
  
よく考えたら受験もそうでした。
私は小さい頃から受験をさせられていましたが、
小学校、中学校、高校と志望校に受かったことは
一回もありませんでした。
でも振り返ると失敗するごとに
受ける学校のレベルが上がったように思います。
  
学生生活もそうでした。
人見知りの私は友達づくりが得意でなく、
運動神経もそんなに良くないので部活もしていないのに
卒業時にはそこそこ人気者になって終わった気がします。
  
就職もそうでした
就職活動も熱心にせず、入ってからも病気になってすぐにやめたり
派遣からやり直したり、世間知らずでたくさん怒られたり、
呆れられたりと散々でしたが、
なんとか盛り返していった気がします。
  
失敗について
準備不足と言われれば
そうだったのかもしれません
配慮や気遣いが足りなかったと言われたら
そうだったのかもしれません。
  
でもやってみて失敗して後悔して
学んだことがたくさんあったのです。
 
だから私自身。今は後悔することがそんなに嫌いではないのです。
心が動くことで
気がつくこと、
見えてくることが必ずあると思っているから。
  
選ぶことのできない人生で、
数少ない自分の選択に直面した時でも
後悔してもいいやと考えるので、
わりと思ったとおりに やっていい
と最近は思っています。
(もちろんそれでも思いとどまっていることはまだありますが)
   
きっちり後悔するスキルがあるから
思うとおりにやってみることができる。
  
後悔と軽やかな人生というのは
相関関係があまりないと思っていましたが、
意外にも関係があるのだなと思った
春の一日でした。