客観を意識する意味

昔、若かりし頃
己を通してしか物事を見れないのだから
客観視なんてあり得ない。
だから私は客観を意識しないということを言っていた気がします。
  
今考えるとなんと狭い了見だったのだろうと思いますが
確かに客観視というのは物理的にはできません。
  
でも、今はそんな若かりし頃の自分に軽く説教できます。
客観視を試みることには非常に意味があると。
  
物理的には主観視しかできない人間でも
他人からの目、客席からの目、空中からの目を
想像することで、主観の幅をぐっと広げられる
というメリットがあります。
  
想像するというのも所詮は主観の妄想かもしれません。
でもこの角度から見たらどうだろう、この人の立場だったらどうだろう
彼の目からみたらどうだろう、彼女の目からみたらどうだろう
ということを考えることで、自分の主観に深みが与えられます。
  
何が言いたいのかというと
主観、客観というのは大したことではないのです。
客観をするために想像し、考えることで
自分のものの見方をより豊かで大きなものにするということこそが
値打ちなのです。
  
想像力は妄想力でしかないのかもしれませんが
妄想だと思ったら、さらに他の視点を想像してみる、
それでも妄想だと思ったら、さらに他の視点を想像してみる。
  
ということをしていけば健全な想像力というのが
身につくのかも知れません。
  
でもある程度で見切りをつけなければ
キリがないのも客観視の一面なんですけどね。
  
バランス。
  
ってまとめたら乱暴なのかしら。ふふふ。