アップデートマニア

経験が豊富なことは良いことだと思いますし
年齢を重ねることは日々の戦いを生き抜いてきた
ということで年上の方には自然と敬意を払います。
  
でも、話をしてみると、
私の好みの問題かもしれませんが、
同じ長さの時間を生きてきても
人による差がハッキリ出るなと思うことが多々あります。
  、
同じような経験や場数を踏んでいるはずなのに違うのは何故でしょうか?
  
個性、生まれ持っての能力の差で
かたをつけることも容易ですが、
私はこの考え方は好きではありません。
  
人間は自分の脳を活用しきれていない
という説を信じる私は
どんな人にも眠れる才能があると思っているからです。
  
では何故でしょうか?
  
私がたどり着いた一つの手がかりは
アップデートという言葉です。
  
生きていると膨大な情報と接し、経験をしていきます。
その量が多過ぎるので
人は自動処理をするようにプログラミングを組みます。
そうやって情報や経験を裁いていっているのです。
  
毎日忙しいし、考えている暇も無い
なんていう日々もあるにはあると思いますが、
そうするとせっかくの経験や情報が
ただ通り過ぎていって
多少、自分の中にあるフィルターに引っかかったものを
抱えながら生きるだけになります。
  
忙しい中でも
  
何の試験の時間なんだ
何を裁く秤なんだ
何を狙って付き合うんだ
何が船を動かすんだ  〜中島みゆき「宙船」より〜
  
ということを考えて
気がついたことから自分のプログラミングを更新していくのと、
処理に注力をするだけでは
その後が大きく異なるように思います。
  
考えて気が付いたところで
いつかは死んでしまうので
意味が無いと言えば、意味は無いですが  
面白い考えや、面白い経験を消化して
自分の言葉で話せる面白い人というのは
同じ仲間が増えていきます。
  
類は友を呼ぶという言葉は本当にその通りだと思います。
  
同じ死ぬまでの時間なら
私は楽しい方を選びます。
  
そして、自分が変わるように周囲も変わるので
自分で作成した自動処理プログラミングは
都度アップデートをする必要があります。
そうしないと時代に、周囲に合わなくなるのです。
  
新しい経験を丁寧に蓄積して
そこから気付いたことをアップデートして積み重ねていくことは
もしかしたら賽の河原で石を積むような作業かもしれません。
時々鬼のような天災や災いが自分に降りかかって
すべてが無になってしまうかもしれません。
  
それでも
私は石を積む過程を楽しみたい
石を積む仲間との時間を楽しみたい
  
そのために、好奇心を持ち続けること
自分を更新し続けることをやめるわけにはいかないのです。
  
もしも孤独に思うなら
その孤独を通じて考えます。
その考えたことが、いつか出会う仲間と話をするときに
役に立つ日が来ます。
  
そうやって自分を更新していくこと自体を楽しみにすると
毎日が少しは楽しくなるのかもしれませんね。
せっかく沢山の人々と同じ時代に生まれたのですから。
ほほほ。