たとえおネエと呼ばれる時も花は香り続けるだろう

かつても書いたことがありますが
私はおネエ言葉、もしくはおネエと言われる振る舞いが自然にできません。
  
オネエになり損ねた私
http://d.hatena.ne.jp/nikuyo/20110713
  
最近ではお店に立つことで
ストレートの方々が求める、おネエの触りくらいは
ある程度こなせるようになりましたが、
ちゃんとした話をする時はおネエ言葉を使いません。
  
また、私の周りの女装達も同じ傾向があるように思います。
私が分析するに、そこには二つの原因があると思います。
  
1.戦後の男女平等教育のもと、言葉遣いや振る舞いの男女差が少なくなっていったため
2.閉じられていたゲイコミュニティがオープン化されていったため
  
1.戦後の男女平等教育のもと、言葉遣いや振る舞いの男女差が少なくなっていったため
おネエ言葉や振る舞いというのは男性が女性的な振る舞いをするというのが
大きな特徴ですが、そもそもの言語振る舞いの男女差が少なくなっているため、
女性らしい、女性ならではといった特徴が少なくなってきています。
  
2.閉じられていたゲイコミュニティがオープン化されていったため
おネエを語る上で、やはりその文化の源になったのは
ゲイコミュニティといえるのではないでしょうか。
ゲイコミュニティはかつて非常に閉ざされたコミュニティでした。
ただし閉じられているだけあって、中身が濃いです。
閉ざされたコミュニティの中で
日頃男らしさを過剰に要求されることへの反動というのが
過剰な女性性の体現=おネエにつながったように思います。
閉ざされた文化の中での過剰と過剰のぶつかり合いが
おネエ文化というものを育んでいったのは間違いありません。
  
人は皆
自分の中に男も女も抱えているものです。
なぜなら
男と女に育てられ、それぞれ好きになったり
感謝したり、良いなと思ったり
好きなところを真似したり、取り入れながら生きているからです。
  
体と心の矛盾に耐えられないという人もいると思いますが
私はどちらかというと
矛盾を孕んでも平気で居られる人間になりたいと思っているので
ニューレディーという道を歩きました。
  
私は女性を愛しているし、男性も愛しているから
別に両方いてくれてもかまわないのです。
  
今の開かれたコミュニティーになって
イカルチャーがつまらなくなったという人も居ます。
確かにかつての濃密な文化というのはなくなりましたが
その環境下では育たなかった新しい文化も花開いています。
  
花はいつだって、どんな名前だって
そこに咲き続けているのです。
  
私だって、こんなにひっそりと。。。
って
口悪い友人は仇花とかラフレシア(腐肉臭がする巨大花)
という人も居ますが
私は自分を美しい花だと思って、毎日過ごしています。
  
おネエでもオカマでもニューレディーでも職業女装でも
なんとでもお呼び!
(なれないおネエ口調ではずかしい)