開いて閉じて

いくつかのルールの問題で最近周りが騒がしいです。
中途半端な私はそのどちらの言い分もなんとなくわかってしまいます。
  
どちらも別に間違いではないのです。
  
ただ、世の中には大きく分けて2通りの考え方があり、
  
開くことを望むか、閉じることを望むかに分かれます。
  
皆、両方の要素を持っているのですが
どちらの傾向が強いかという違いはあります。
  
開くことを望む人たちは
もっと交われ、ルールなんかに縛られるな
もっと自由に、もっと新しいものを!
もっと進め!もっと変われ!
  
という人たちですし、
  
閉じることを望む人たちは
もっと秩序を!
ルールは厳格に!
伝統的な価値観を守り、安心して暮らせる日々を!
  
どちらの考えにも頷けるところはあります。
ただ、批判的な眼差しでどちらも見ると
   
開くことを望む人たちには
混乱が起こり、ルール無視による不平等が起こるといえますし、
開き過ぎると考え方だけでなく、人間関係も奔放になる傾向があるといえます。
  
閉じることを望む人たちには
停滞、退屈を招き、
成長が止まり、人間関係も窮屈なものになるという傾向があるといえます。
  
だから、皆、自然とバランスを取り、
どちらか一方に偏らないように暮らしているのでしょう。
  
私も中途半端にどちらも見ながら
なんとなくその時の気分で開いたり、閉じたりします。
  
お店に入っている時や女装をしている時は
できるだけ開くようにしています。
それはそこが社交場、交流の場だからです。
  
その反面、普段はおとなしく、秩序立てて暮らし、
新しく取り入れた考えや人をゆっくりと自分の中で消化していきます。
私はすごい速さで成長したり、進化することができるタイプの人間ではないので
多分、そういう閉じる時間が必要なのだと思います。
  
国が開くとき
秩序を守ろうと内部への締め付けが強くなるというのは
よくある話です。
  
新しい考え方、新しいライフスタイルが認められると
それに対する反動があるのは
よくある話です。
  
そんな時こそ、少しでも未来の笑顔が多くなる判断
というのをイメージしながら
判断できると良い判断ができそうです。
  
笑顔はとても理性的で幸福なことなので。
  
その考えは人を笑顔にできますか、
その言葉は人を笑顔にできますか、
自分が笑えますか、
  
開くときも閉じるときも
そのことだけは忘れたくないなと思います。