無関心を望んでいた女装

間もなく40歳を迎える私ですが、
最近はあれこれとこれまでのことを思い返すようになりました。
  
少しずつここで話してみたいと思います。
  
まず私が東京という街に来た理由ですが、
それは東京という街が良い意味で無関心、無干渉だったからです。
  
間もなく東京生活も15年を超えようとしていますが、
私は地元では浮いてしまっていたのです。
  
地縁・血縁の中でゲイであり、女装であり、ということを
説明しながら生きるのは、自分のことだけで精一杯だった当時の私には
できませんでした。
  
だから人が沢山居すぎて、大まかにその中に記号として紛れられる東京に
逃げてきたのです。
地縁・血縁の干渉から逃れたくて東京に逃げてきたのです。
  
そして地縁、血縁から離れて、心地よい無干渉と寛容の中、
働いて、遊んで、出会って、学んで、自分を作ってきました。
  
両親は私を大学生までは育ててくれましたが、
そこから先は東京という街に育てられたのだと思います。
だから私は東京という土地がたまらなく好きです。
  
東京マラソンを走ったのも、単純にいろいろ思い出が詰まった街を
走り抜けたら、良い思い出になるなと思ったからです。
  
でも、無関心を望んでいた私が
自分を作って、失敗しながらも、自分を発信したいという思いに
いつの日か変わっていました。
  
出会ったこと、教わったこと、感じたこと、
きっと誰かに伝えたかったんだと思います。
  
日常生活で睦み合い、そういった感情を発露できる人もいると思います。
お子さんが居る人はその子にそういうことを伝えることができるでしょう。
でも私にはいません。
私は、今もそうなのですが、プライベートはシャイ過ぎて
そういうことを発信できませんし、
また、そういった相手もシャイ過ぎてできません。
  
孤独が私の発信の源だったのです。
  
そういう私が伝えたかったことを
ブログやショウにしていっているのだなとつくづく思います。
そんな私の感情の発露に付き合ってくださる皆様はスキモノね。
なんて思いつつ、感謝の気持ちも同時に思っているのです。
  
今日はこの辺まで。