ストックができるしくみ

昨日フローとストックについて
書いた私ですが、
そもそもどういうしくみでストックができるのかを
考えていました。
   
金は天下の回りものなんていいますが
あらゆるフロー属性のものは世の中に流通しています。
その中で自分の心に引っかかったもの、出来事、経験、知識を
ストックにしていくのです。
  
そういう原理はお掃除にも応用できて
「人生がときめく片付けの魔法」の近藤麻里恵さんなどは
わざわざ溜め込んでいるものがストックに値するか?
ということを考えろよ!という趣旨の本でしたし、
今流行っている断捨離も要はそんなにストック要りますか?
ということを皆に問い、共感を得ているのです。
  
どうしてこのような考え方が
現代において大きく取り上げられているのかというと
現代の文明社会というのは
  
フローの量がハンパないっ!
  
大事なことなのでもう一回言います。
  
フローの量がハンパないっ!
  
状態なのです。
情報も物質も膨大な流量なのです。
油断しているとバカスカものを買ってしまい、
バカスカ消費し、
気がつくと家も身体も余分なものだらけに
なってしまうのです。
  
私が運動したりしてもなかなか痩せないのは
多分私もバカスカものを買っているからだと思います。
麻痺してフローを必要以上に取り入れているのです。
  
でもどうしてフローの流入を止められないのか。
問題はそこです。
  
私の考えでは
フローの中にしかない
まだ見ぬ宝があるかもしれないという
好奇心、欲求があるからだと思うのです。
  
お友達が十分にいるからといって
新しい人に出会いたい、
まだ知らない食べ物、考え方に触れたい。
  
フローは大量なだけに
未知のものがあるのかも知れないのです。
  
だから私達は十分と知りながら
好奇心、欲望に抗えず、
次々と新しい何かを求めてフローを取り入れ続けます。
  
ごくたまに、取り入れ続けることで
自分の中の古い価値観やストックが覆されるような
経験や知識を手にをすることがあります。
  
そういう刺激を求めて
流れに手を突っ込み続けているのです。
  
ちなみに私が毎週土曜日に入らせてもらっている
Campy!barというのも
そういうフローのど真ん中にある店です。
街の中心通りの路面店ということで
いろいろな種類の人間が流れてきます。
  
私はたまに
人間の川の中で仕事をしているんだなという気になります。
  
そしてストックも入れ替え見直しをしなければなりません。
その時は大切に思っていて、一生大事にしたいと思ったものも
価値が変わっていたり、劣化したり。
  
そもそも大きな流れで言うと
時間というものは絶えず流れていて
そもそも生きるということは本来的にはフローなのだと思います。
  
そのフローは激流や濁流もあって
そこに備えてストックで備えているのかもしれません。
  
でもストックばかりの重い船だと
川を渡れないかもしれません。
浅瀬に乗り上げてしまうかもしれません。
  
ストックを見直したり
フローを泳いだり、
生きていることは本当に飽きないことだと
私は思います。