桐野先生的Exit(出口)と個別解とマイライフ

個別解という言葉に出会ってから、
いろいろな物語で描こうとしていたことは
すべてこの言葉で片付けられるなとすっきりしています。

私はとても桐野夏生先生の作品が好きなのですが、
それは彼女の話に出てくる登場人物が、
共通の正解に合わせようとしてもがき、苦しみ、悩み、周回し、停滞し、
Exit(出口)を探すというものが多いからです。

そして最終的に共通解なんてない。
あるのは個別解だけだというメッセージを各作品で送っているように
思えたから好きだったのです。

特に桐野先生の作品に共感したのは
私も桐野先生の小説に出てくるような「東京戦争」に参加し、
敗北したという過去を持つ女だったからだと思います。

「東京戦争」っていうのは
お金だったり、家柄だったり、センスだったり、
仕事だったり、友人だったり、学歴だったり、
日本の東京の中だけで通じる価値観で争う戦争。

田舎モノの私には、東京という都会の価値がまぶしくて
小さい頃から憧れをもっていました。
そこに参戦したくて、中学受験、高校受験、大学受験と挑み続けてきました。

今考えると自由な発想だった私は
最初、塾の模擬テストでも解答をうまく埋められず、
一つの解答欄に2つ正解を書いたり、
()書きで補足していたり、
枠に収まりきらない小学生でした。

受験を通して、模範解答をクリアする技術を身につけさせられ、
中学・高校の受験に失敗し、苦い涙を経験して、
晴れて現役で慶應義塾大学に入ったのでした。

自信満々で大学に入った私でしたが、
そこには想像を絶する華やかな世界が繰り広げられていました。

田舎モノだった私は、その華やかな世界に参加する
チケット(要は金や家柄など)を持っていない自分や、
当時はもっと変態性欲とされていた同性愛の自分を
受け入れることができず、ノイローゼになりました。

そこから私の個別解への旅は始まったのですが、
少し快適だなと思う今に至るまでしょっぱかった。

病気・ニートワーキングプア
しょっぱいモノと戦いながら、
何故か女装というものをはじめてしまったため、
ゲイの世界でもマジョリティと戦いながら、
私は今の自分を作ってきました。

私は私になりたくて、戦ってきました。
そしてそれはこれからも続くのでしょう。

個別の解を求めながら、問い続けて、生き続ける。
ひょっとしてそれをライフと呼ぶのではないかと
最近思います。

ねぇお母さん、僕は僕のライフを手に入れられたのかな?