誰かのために何かをする

自分の人生を生きるのにお客様なんていらない。
自分が人生の主人公であり、作家であり、
思う通り、好きに生きればいい。

と、奔放なニューレディーであった私は思っていた時期がありました。

でも、人間は設計上、自分のためだけに生きるというのはかなり難しいようです。
この歳になって実感するのはそれでは生きていくための
モチベーションがもたないということです。

個人だけでなく社会でも同じことが言えるのではないかと思います。

今、世の中では自由主義、資本主義の行き詰まりであるとか
言われていて、社会主義全体主義的な空気がまた高まっているように思われます。
が、それで本当にいいの?と私は思っています。
かつての社会主義全体主義ではお客様は選べません。
社会や国の立てた合理的な計画に基づき、
それに対してサービスをするという社会であったのです。
つまり、お客様は国や社会そのものだったのです。

もちろんそれらの国々でも競争もあったでしょうし、優秀な人々もいました。
でもなんで失敗したかというと、サービスをする対象が社会や国といった
非常に曖昧な存在で、人々のモチベーションを維持できず、
技術革新も進まなくなり、自由主義、資本主義の国々に差をつけられたからです。

誰かをどうすれば喜ばすことができるだろうか。
お客様の存在こそが、人々や社会を走らせてきたのです。
自由主義や資本主義はそのお客様を自由に選ぶことができる社会。
お金があれば誰でもお客様になれる社会。
誰かが誰かのために働くことで成り立つ社会、
だからとても好きなのです。

最近問題になっている格差社会
一部の金持ちが全体から搾取しているのではないかという問題。
私はあまりピンときません。
働けど働けど、わが暮らし楽にならずというなら、
お客様を変えればいい。何故その自由を行使しないのだろう。
と私は考えてしまいます。

あと、最近までサービスをすると自分がすり減るという誤解を持っていましたが、
これも大いなる誤解だということに気が付きました。
自分では与えるばっかりになっている気がしていましたが、
受け取ってもらえていたのです。
受け取ってもらえるから、私のサービスに意味が与えられ、
生活をすることができるのです。

だから、私はこれからもサービスをしていきたいし、
誰かのサービスも受け取っていきたい。

そんなサービスがたくさんあふれるような仕組みをもっと
考えた方が楽しいなと思う今日この頃です。