女装という灯

先日の記事でも書きましたが最近弱虫という言葉が
頭を離れません。
弱虫とは何か、なぜ弱虫なのかということを考えてみました。

私が至った結論は
弱虫とは自分の作り出した恐怖により、
本当に自分がしたい行動を
起こせなくなる状態に陥った人ということです。

失敗したらどうしよう
人を傷つけたらどうしよう
嫌われたらどうしよう

実際に失敗して傷ついた人間は
臆病になりがちです。
もしかすると経験を積めば積むほど、
歳を重ねれば重ねるほど、
人は弱虫になるのかもしれません。

嫌われ松子の一生」の松子が愛に傷ついた末に
引き籠り、ゴミ屋敷の生活になったように。

私も今年は泣きたいことが多く、
一人ぼっちで松子のように福岡で筑後川を見て号泣したり、
雨の伊勢神宮の内宮で突然号泣したり、
泣き虫で弱虫の一年でした。

でも
それでも自分の想像した恐怖に駆られて
自分のしたいことをしないアホラシサというのも
同時に考えていました。

時間というのは相反する二つの思考を熟成させるものなのですね。
そうして人間としての風合いというのは生まれていくのでしょう。

で、女装です。
私は泣き虫で弱虫になった時も
アホラシイと開き直った時も
いつも女装をして生きてきました。

女装のバカバカしさ
御目出度さに救われてきた人間です。

だから師走は女装をします。

取り急ぎ毎年恒例の女装紅白歌合戦には参加いたしますので
もしお時間があれば御一緒に。