なまはげの女

ニューハーフの人たちを女装と呼んではいけないと思っている。
彼女たちは男性で生まれた体に違和感を覚え、
性の転換を希望した人たちだからだ。

女装者は違う。
男でありながら女を装うのだ。
男である自分に違和感を感じず、
自分のなりたい女を装っている。

男が女を装う時には
男が女に抱く幻想や憧れを投影したものになる。
そこがポイントで、だからおじさんの女装は
自分が好きだったちょっと古い時代の女性になり、
ストレートな男性の女装は若くて可愛いものを目指すことが多い。
巷に言う「男の娘」というのはそういう類のものだろう。

私は最初から女性に性的興奮を覚えなかったので
生物学的に興奮する女の若さ、美しさに興味を覚えなかった。

でも女が好きである。
小さい頃から身近にいて、愛さずにはいられなかった。
取り分け好きだったのは「かなしい女」だ

たとえばちあきなおみの歌の世界が好きだ。
ちあきさん自体は哀しくもなく、悲しくもなく,
ただひたすらにかっこいい。
でも歌の世界は「かなしい」ものが多い。

「かなしみ」

思えばずっとこのことに興味を引かれて女装をしてきた。
古い友人たちは知っているだろうが、
私は女装をすると石もて追われたくなる。
あまり周囲に受け入れられたくない。

小さい頃、大好きなおばさんがいて、
子供を産めないことで、姑や小姑達からいじめられていた。
そんなのヒドイと思いながら、
思いつめている顔は息をつめるほど美しかった。

大人になって、男社会のなかで、女を理由になかなか
昇進できない先輩がいた。
そんなのヒドイと思いながら、
その健気な顔をみるのが好きだった。

私の女装はそういう女たちのかなしみからインスパイアされている。
吉原炎上Wの悲劇、疑惑、ゼロの焦点犬神家の一族八つ墓村
私の好きな映画はどれもかなしい女たちが必ず登場する。

オカマでもカッコいい女を目指す女装は多いが、
私はかなしみや憂いを抱いて、それでいておかしい女でありたい。
かなしみを隠すためにめでたい装いをする女でいたい。
それと同時に男であることのかなしみを残していたい。
人生はカッコよくはいかないのだ。

だからアイラインが太くなり、睫毛が長くなり、
リップがオーバーリップするようになった。
男に生まれた証の体毛もほとんど残している。

スターウォーズのダースモールみたいなものだ。
ダークナイトのジョーカーみたいなものだ。
なまはげみたいなものだ。

なまはげ女装。

多分、私は女装を通して、
現代日本においても鬼が存在するということを訴えなければならないのだ。
やさしいもの、きれいなもの、飲み込みやすいもの、カッコいいものばかりが
溢れた社会で、飲み込みにくい、かなしい生き物がいるんだよという
存在にならなければならないのだ。

だから明日から女装したときには言おう!
泣く子はいねぇか!

以上、フィクションでした。