君の昔を

最近、人と接していると、その人の昔がなんとなく見えてきます。
それはスピリチュアルなことではなく、
なんとなく感じるようになったのです。
 
人間は環境によって作られるとはよく言われますが、
その人の現在とはその人が通ってきた過去の結晶なのです。
育ってきた風土、両親、兄弟、友人、同僚、恋人、
関わってきたものをどのように感じて、吸収していったか、
どのようなものに憧れ、目指したのか、
どのようなものを軽蔑し、距離をおいたのか
何を愛し、何を憎んだか
その結果が容貌や振舞いになんとなく見えるような気がするのです。
 
妄想といわれたら、そうかも知れません。
でも、私はそういう風に人と接してしまいます。
 
特に女装の人からは顕著にその人の過去が感じられます。
女装とはその人が考えている女性像の集大成であるからです。
私も昔、姉に女装の写真を見られた時に
「おかあさんに似ているからすぐにわかった」と
言われたことがあります。
もちろん母はこんなに毛深くもなく、もっと女性的です。
だけど、私も知らず知らずのうちに母親から影響を受け、
似てしまったのだと思います。
  
母親とは生まれて最初に出会う女性で、
人生において最も女性についてのイメージを植え付ける
存在だと思います。
そのせいか女装にはマザコンが多いような気がします。
お母さんが好きだったから女性に興味をもった。
そこから女性に対する興味が始っていることが多いと思います。
  
私の女装からは何が見えるのでしょうか?
  
人生が外見や振舞いに全部出てしまうと思うと
毎日が鍛錬の場なのだと改めて思い知らされます。