思い描いた未来を生きてる

最近、日本を嘆く、
特に日本の若者を嘆くお話が多いのですが、
それは天に唾を吐く行為のような気がします。
 
海外旅行、留学が減った、海外赴任をしたがらない、
覇気が無い、お金を使わない、草食
 
たしかに、少し当て嵌まるところもありますが
それは私たちが思い描いた未来に近づいているからのように思います。
 
昔、日本人が海外に進出していったのは
海外の方が進んだ技術を持っていたこと、
国内に研究施設や活躍の場がなかったことというのが
大きな理由にあると思います。
 
皆で手を取り合って先進国の仲間入りをして
国内の研究施設も整い、活躍の場がある。
よく比較されるのは韓国や中国の方々の海外留学や進出について
ですが、それは国内の状況が日本に比べて恵まれていない
(経済的、倫理的、政治的)事情もあるからではないでしょうか。
  
言語の習得という点ではたしかに現地に行くというところは
メリットかもしれません。
しかし、日々の技術の進化でむしろ、言語というところでは
今後不自由しなくなるように思います。
あとは、既に繋がってしまった世界のリアルを知るということ。
これはもっとも大きい利点のように思います。
 
でも、国内で仲良く手を取り合って生きていくということは
昔から人々が願っていたことです。
そして、それについて、私はまんざら悪いことばかりではないなと思っています。
なぜなら、グローバルでの強さを発揮するには
足元のローカルが強くなければならないからです。
 
世界中を旅してまわらなくても
地元にも自分を成長させてくれたり、気付きを与えてくれるものは
たくさんあります。
これもみゆきさんの「地上の星」の歌詞のように
「地上にある星を誰も覚えていない、人は空ばかり見てる」という
反省に立ち、身近な素晴らしいものから気付きを得ようという
姿勢なのだと思います。
 
国際競争力についても
世界を旅するから頭が良くなる、刺激を受けるというのは
とてもバブルな発想だと思います。
むしろそれよりも地元の良い点をしっかり理解し、
それをプレゼンテーションする力の方が今後肝心です。
 
地に足をつけて、臆することなくアピールし、
世界を相手に商う。
これが既に繋がってしまったこれからの世界で
重要な力のように思えるのです。
 
いつだってその国の若い人は
その前の世代の背中を見て、生きているのです。
甘やかす必要はないと思いますが、
嘆いたり、文句をいっているよりも
背中で教えたり、眼を合わせて教えたり、
手を取り合ったりする方が
どれだけ、大切なことか。
 
嘆いている人は
自分達の来し方を省みて
若い人を見て、反面教師にしたり、良い点を吸収したりして
背中で引っ張っていけるような存在になればいいなと思います。
 
いつだって、周囲のせいにする人は周囲のせいにして嘆くのです。
変えられるのは自分だけ。
自分を変えて世界を変えるしか方法はないのです。
 
今日は自分への戒めでした。