杉ちゃん天岩戸ときたら

最近、このブログの記事で杉ちゃん(杉村春子先生)や
天岩戸のことを書いていたら、
杉の木やウズメノミコトにちなんだ場所に行きたくなって、
行ってきました戸隠神社 五社巡り。
 
長野は中学の修学旅行以来です。
小雨がたまにパラパラ降っていましたが、
ちょうど良い湿り気で暑過ぎることもなく良かったです。
 
長野に関しては山、山、山、で県全体が巨大な修験場みたいで
坂ばかりで平地があまりないため、
頭の中も傾いているのではないかという妄想をいつも抱いてしまいます。
虫や蕎麦を常食しているイメージも。
信濃の国をいつも口ずさみ、松本と長野が仲が悪いというイメージも。
 
酷い妄想ですね。長野県民の皆さま申し訳ございません。
私は周りの大人からそういう妄想を植え付けられた被害者なのです。
(むしろ好んでそういう情報を得ていたクチ)
 
久しぶりに行った長野はやっぱり山、山、山でした。
まず最初に行った戸隠神社の奥宮はプチハードなお参り場所でした。
でも、今年の3月に金比羅さんの奥宮を経験している私には
「ハーフ金比羅さん」というくらいのハードさでした。
ハードの基準に「金比羅さん」を持ってくるのは良くないですね。
でも、私の中ではそれが今、一番しっくりくる表現なもので、すみません。
 
山の参道を歩き、所々の解説を読みながら
私がなぜ、歳をとって寺社仏閣に興味を持つようになったのだろうということの
答えが漠然と浮かんできました。
寺社仏閣の僧侶神官というのは古来の日本の知識人で
寺社仏閣というのはその知識の凝縮であるから心ひかれるのだと思いました。
 
識字率という点で日本は寺子屋などもあり、
優れていたとも言われていますが
御経や祝詞を理解し、音読し、布教を実践していた
宗教家達は紛れもなく、当時の知識階級であったのでしょう。
  
その僧侶神官達が用いた古来日本の建築土木技術や景観設計技術のエッセンスが
寺社仏閣には凝縮されているのです。そこに宗教の哲学もにじませながら。
だから、面白いし、味わい深く感じるのだろうと。
 
参道は立派な杉が整然と植えられていましたが、
今まで訪れた寺社の中でも最も大木という感じでした。
参道が整備されたのが1600年代なので400年クラスの大木なのでしょうか。
 
書きたいことがたくさんあったのですが、
長くなるので今日はここの辺まで。
 
次は私が久しぶりに買ったお守りの話でもしましょうか。
ほほほ。