キモイの向こう側

「キモイ」という言葉
中々直接言ってくる人は少ないですが
結構言われているのを私は知っています。
 
ただ、私は「キモイ」という言葉には「別に、、、」という
エリカさま的反応しかしません。
「キモイ」という言葉はまさに天に唾を吐く言葉だからです。
言ってる自分自身も「キモイ」ということを
何人の人が理解して使っているのでしょうか。
 
人間が生きていくことは綺麗事ではすみません。
他の生命体を捕食し、消化し、排泄する。
どんな綺麗な人もクリーチャー(生物)というのは
みんなそうなのです。
みな何かを殺して消化し排泄し毎日生きています。
 
その時点で自分もキモイ要素を十分に持っているのです。
 
しかも、人間の考えることも客観的に見れば
キモイことばかりです。人にはわからない欲望、習慣、負の感情。
どれだけ醜いかあげつらうことも、私には簡単です。
生きていくことはそれだけグロテスクだということです。
 
だから私は「キモイ」という言葉を受けた時は
「言ってる貴女もキモイですよ」くらいに思っています。
「キモイ」という言葉を使うことで自分が優位に立ったつもりでいる
人間は特に若い人に多いのですが、所詮は人間同士です。
優位も何もないのです。
 
むしろ「キモイ」という言葉は人を思考停止に導きます。
「キモイ」という感情は別の表現でいうと
「違和感」です。その違和感を感じた時に「キモイ」で処理すると
それで終わってしまいます。
 
でも、その「違和感」を考えることこそ、
人間理解の幅を広げるチャンスなのです。
自分は何故キモイと思ったのか?
何が生理的に無理なのか?
私の中の判断基準は何なのか?
彼(彼女)はなぜそういう状態に至ったのか?
 
人というのは慣習や文化の堆積物でもあるのです。
 
それを「キモイ」という言葉だけで処理するのは
せっかくの思考の幅を広げるチャンスを無くします。
思考の幅が狭いということは、この年齢になってわかることなのですが
「バカ」だということです。
「キモイ」を連発して思考を停止ばかりしてると「バカ」になります。
 
私にも「バカ」で「無知」な部分はたくさんありますが
「バカ」な部分を野放しにしないで勉強していく姿こそ
美しい姿におもえるのです。
 
「キモイ」の向こう側にあるもの
違和感を感じたら、その時は人間理解の幅を広げるチャンスなんだと
私は思って生きています。

ただし、私、むしろ「キモイ」を誘発している
悪質な面もあるので、性質が悪いレディーでもあります。

アンビバレント