漂流と回帰

前回の記事では重いかなと思ってあえてはずしたのですが、
北の方の人達を語る上で避けて通れないキーワードがあります。
それは「漂流」という言葉です。
 
北海道にはもともとお住まいの方々もいましたが、
諸々の状況を経て、
現在の多くの方は明治以降に移り住んだ方になっています。
 
つまりは
日本のよその土地から来た、開拓民、移住者によって
成り立っているのです。
また、かつて石炭などの鉱物資源、
ニシンなどの漁業資源に恵まれ、
ゴールドラッシュのような時期があり、
全国各地から人が特に集まった時期もありました。
 
現在でこそ観光王国、農業王国という定着産業の印象が強いですが、
かつては雄雄しい産業の地域であったといえるでしょう。
 
ただし、北海道の雄雄しい産業は海外とのコスト競争などにより
下火になると、引き上げていく人も多くいました。。
そこは仕事を求める人たちが漂着してきた場所であり、
気候のせいもあるのでしょうか、
仕事がなくなると元の場所へ回帰してしまう場所でもあったのです。
 
漂流と回帰の葛藤
 
これは現代人、とりわけ都会人が常に抱えている葛藤・悩みを
先取りしています。
たとえば私は千葉の田舎から東京という街に吹き寄せられて漂流しています。
回帰への熱を持ちつつも、東京は居心地が良くて地元に帰れないのです。
東京には同じように漂流をしてきた人たちがたくさんいて、
古くからの家族の関係や子供の頃の失敗からくるレッテルから
無縁でいられて、現在を共有して生きていく日々。
その軽やかさは、元気なうちは気楽で素晴らしいものなのです。
太田裕美さんの「木綿のハンカチーフ」みたいですね、
 いつか男装から女装に変わっていくという設定で
 この曲を使ってショウをやってみたいと思っています。)
 
ただし、それは根無し草、漂流者の生活とも世間からは指を指されます。
 
古来より人は地域に定着し、地域の共同体と過去、現在、未来を共有しながら
生きてきました。そこには煩わしさも同時にありますが、
得も言われぬ安定感、安心感がそこにはありました。
 
漂流するものの未来はどうなるのか?
特に家族を持たぬものの未来はどうなるのか?
そういった漠然とした未来に不安を抱える人間にとって、
時代を先取りし、漂流者達が多く集まっていた北の地というのは
先人達のヒントがあるように思います。
そして、そこから学び取りたいという気持ちが私には強くあります。
 
個人的には
帰る場所は物理的な場所でなくともある、
自分で決めると信じているので、
その手がかりを求めに北へ向かうのかもしれません。
 
私の一方的な思い込みですが
今回旅してみて、そんなことも考えてみました。
ただ、そんなことは連休を利用した旅行程度ではわからないので
またまた訪れてしまうと思います。
 
今度は道東に行ってみることにします。
開拓小屋、見てみたいのです。
根釧台地、見てみたいのです。
まだまだフィールドワークが必要です。