性と暴力とニューレディー

先日書いた記事「網の中の女装」
http://d.hatena.ne.jp/nikuyo/20120919
の続きです。
 
人の網の世界の外にあるものについて
ずっと考えていました。
私が至った結論としては剥き出しの「性」と「暴力」です。
 
植物も動物も生きとし生けるものの本能として
生存しつづける欲求、子孫を残す欲求、
というのがあげられます。
植物で言うと種子を作るために咲かせる美しい花が「性」
外的から身を守るための暴力装置が「毒」や「棘」でしょうか。
適者生存というとだいぶ聞こえが良いですが
裏を返せば弱肉強食です。
そして、子孫を残す欲求。
それは性的魅力のアピール大会であり、
男性性、女性性の剥き出しのぶつかり合いがあります。
 
外国旅行に行くと
日本の人の網がいかに繊細に私たちを保護しているかというのを
強烈に感じます。
いつも旅行の時はおっさんモードで行くので
おっさんとしては筋肉がもっと必要だ、ということを毎回感じます。
暴力に対抗するフィジカルの強さと、性的アピールで効率が良いのです。
 
反面、日本や先進国は法や人権、男女同権などの人網が
細かく張り巡らされ、そういった法令や規範を遵守する
コンプライアンス社会になってきています。
コンプライアンス(法令順守)とは自然の本性でもある
性と暴力を極力排除しようとする動きでもあります。
 
特に労働の現場では生産性が重視され、
生産性には性と暴力の要素はまったくいらないということで
どんどん取り入れられています。
 
企業がコンプライアンスへと方向が向かえば
企業からお金が出ている産業もその流れに従わざるを得なくなります。
今日テレビなどで刺激的でなくなったというのは
テレビマンの怠慢とういことだけではなく
そういった世の中の風潮の反映なのです。
 
私は年々コンプライアンスが強化される中で
企業で働いた世代であります。
私は平たく言うところのオカマでありますが、
労働の現場で、そういったオカマ部分を刺激することは
性差を刺激するということになります。
 
裏で何を言われていたかは正直よくわかりませんが、
その部分を論われることもなく、何とかマネージャーにまでなれたのも
同僚の方々の応援とコンプライアンスという網が
私を守ってくれたからだと思っています。
 
社会全体のコンプライアンス意識が強まり、
ユニセックス化した感覚はおネエの感覚と非常に相性の良いものでした
 
ニューハーフさんのマジョリティはむしろ旧来の女性性という価値観を重視する傾向があり、
ゲイさんのマジョリティも旧来の男性性というファンタジーを重視する傾向があります。
そんな中でおネエはどちらの感覚も取り入れる、ある意味柔軟、ある意味節操ない人たちです。
 
私もどちらかに偏れませんでした。
女性も男性も好きでその要素を自分の中に取り入れたいと思っているからです。
節操がありません。どちらも大好きで、どちらも譲れなかったのです。
私はよりしなやか風味や化粧やファッションが面白いのでその価値観を持ちながら
フィジカルではどの人間にも潜んでいる「暴力」に負けない強い身体を欲しがりました。
 
結果としての仕上がりはニューレディーという新しいジャンルを切り開くことになりました。
間違っているのか、正しいのかは私もよくわかりません。
でも、自分の中にも潜む「性」と「暴力」への私なりの決着の付け方が
ニューレディーという新しいジャンルでした。