Prisonor of Curiosity

生きていく目的は人それぞれいろいろあると思いますが、
私自身は最近、好奇心のために生きている
という気がしてなりません。
 
そう考えてからは身の回りに起こるあらゆることが
自身の中身だったり、相手の中身だったりを
よりよく見るための砥石のように感じます。
 
鮮やかなやり口という記事
http://d.hatena.ne.jp/nikuyo/20121114
でも書いたのですが、
周囲から良いことをされても、悪いことをされても
「あぁそういうやり口を使うんだ」と感心して見入ってしまうし、
大抵の不満も「これはこの人の経済活動なんだ」と思うと、
実害がない限りは「へぇー」という感じで
その要因に興味を持ってしまいます。
 
かくいう私も霞を食べて生きているわけではないので
日々慎ましやかに「経済活動」を行っています。
が、いつも私自身の活動自体で得られる自分の成果よりも
周囲のやり口や手法にばかりに興味がいってしまう
という悪い癖があります。
 
小さい頃、
お祭りの日、お神輿がきれいだなとボーっと見とれて
お菓子を落としたことに気づかず、
近くにいた子に持っていかれたことを
ことあるごとに私の愚図エピソードとして
親から指摘されます。
 
今思うと 
お菓子よりも
お神輿という神社のやり口や
装飾の美しさから感じる作り手の心意気に
目を奪われていたように思います。
 
昔経験した就職活動についても
自分のことよりも全体のシステムや、
会社や周囲の就活生のやり口ばかりが気になって、
結局本調子になったのは、終盤の方でした。
  
社会人になった時も
上司のやり口や同僚のやり口、会社のシステムばかりが
最初は気になって、自分のやるべきことに集中できず、
なかなか成果を挙げられませんでした。
  
私は集中が苦手なタイプで
いつも好奇心を優先させてしまうのです。
だからニューレディーという海のものとも山のものとも
しれないものになったのだと思います。
 
何故ならニューレディーは普段できない経験ができるからです。
新しい視点の発見や気づきもとてもたくさんあります。
良いことばかりではないです、
多分悪いこともたくさんあります。
 
でも、男だから、オカマだから、オネエだから
差別されたり、差別したりする立場になって
様々な視点から見えてくるものが面白いのです。
 
それは時に摩擦を起こすでしょう。
その摩擦さえも面白いのです。
 
好奇心と結婚したとでもいうのでしょうか。
そんな風に考えながら最近は生きています。