羽の生えた時間

さて、月日の流れがあっという間で
本当にびっくりします。
働き詰めで、もう間もなく4月。
無事に今年も操を守りつつ、
まだ見ぬ春と王子様を待ち焦がれている私なのです。
 
なんてね。
 
待つ者には時が経つのが遅いとは
敬愛するマドンナさんも歌の中でおっしゃっていましたが、
王子様を待っているはずの私はあっという間に時が過ぎます。
 
待ちながらあっという間に時間が流れるというのはいいようですが
待ちながらあっという間に歳を重ねるというように考えると
何か損をした気がします。
 
インフレと不況がいっぺんに来たような
スタグフレーション的な損失感。
 
なんてね。
 
本心では王子様なんて望んでいないのだと思います。
人間は本当に欲しいと思っていたら変わるはずなので。
子供を生まない、結婚をしない私は、
働くことが一番アイデンティティーを確認できる方法だと
気が付いてしまい、その道を自分で選んで進んで行ったのです。
その結果時間が経つのが早く感じられるのです。
 
捉え方によっては悲壮なのかもしれません。
でも案外私は幸せです。
働いている時間はいろいろなことを観察できたり、
人に感謝することができてとても気持ちが良い状態です。
エピキュリアンは休んでばかりだというのは嘘だと思います。
働くことも快感の一種なのです。
 
かといって女装をしていない時の私についても
嫌になるとかそういうことはありません。
プライベートから奇抜な女装さんは結構いますが
私の場合、おっさんの時は取り立てて目立つところの無い
歳相応のおとなしいおっさんとして取り扱われます。
 
たまにこのことが二つのいいとこ取り、
もしくは中途半端だ、などという批判を受けます。
私自身の実感としてはおっさんとしても良い思いは
あまりしてません。
それなりに責任を求められる年齢でもあるのでキツイことも多いです。
 
また女装としてもおっさんの要素を残しているので
(これを私は多様性の生きた具現化と称しています)
不特定多数の方と何らかの交渉を持つというところには至りません。
もっともあまり望んでいませんが。
  
どちらかというと両方の自分であることで得か?
といわれたら、多分そうではないのでしょう。
でも、マジョリティーの側、マイノリティーの側、
両方の扱われ方をするのは
なかなか出来ない経験で
日常、非日常の区別も明快になるので
女装の時にすべきことも明快になり、メリハリも付きます。
 
だから私はニューレディーをやめられないのです。
 
黒い羽の生えた醜いアヒルのような女装。
白鳥の湖でいうオディールのように奔放な存在だと、
ニューレディーをそう呼ぶ人はいます。
そういう人がいるのは仕方がないです。
 
でも最近私は思うのです。
むしろニューレディーは白鳥なのではと。
今日もそんなことを考えて、
ブラックスワンのサントラのPerfectionという曲を聴きながら、
街中を歩きながら泣いていました。
 
なんてね。
 
キモイ話ですね。
でも、私は思うのです。
「私には羽がある。」と。時々。
だから時間があっという間に過ぎるのでしょうか。ほほほ。