環境と寛容とガバガバ

昨日の記事の後に、
自分の考えのバックグラウンドについて考えました。
  
私は都会で暮らすことを選び、
迷惑をかけなければ無関心でいてくれる近隣の中で暮らし、
働いて生活することを選び
公私雑多でなく、仕事の内容を見てくれる職場で過ごし、
周りに同年代の離婚経験者、再婚者、独身者が
たくさんいる環境で生きています。
  
それに加えてカマ業界にも足をつっこんでいるせいか
浮気は日常茶飯事で珍しいことではありません。
(私自身は浮気をする甲斐性もない、
  というか、もともと人付き合いが苦手なタイプですが)
  
冷静に考えてみると
これだけ条件が揃っていれば
昨日のような考えになるなと。
  
でも、私の環境が最初からそうだったわけではありません。
私の意志と選択とちょっとばかりの涙と
出逢った人たちの優しさでできています。
  
自分の置かれている環境の特殊性を
自覚しておかなければと思いました。
  
ただし、人はみな、自分の置かれた環境でしか
モノを考えられないし、モノを言えない生き物です。
たとえ想像力を働かせても、
その想像力も自分のバックグラウンドで考えたものです。
全ての環境の人に等しく耳障りのいいことは言えません。
    
何が言いたいのかというと
寛容というのが最終的には必要なことかと。
異なる環境で、独自のストーリーを生きている人たちが
生活しているのだから、
その違いを自覚して、寛容になることが大事だなと。
  
つまり最近憧れのガバガバです。
そういった意味では、あの方も、もしかするとガバガバだったから、、、
いや、、、そんな、、、私、そういう意味じゃなく、、、
精神的な意味ですよ!精神的な!
  
批判をしている人たちも
もっとガバガバになれば素敵なのに。
と思った梅雨の中休みでした。