好かれたいのは何のため

じぇじぇじぇ
(流行モノにのっかってみたくて、なんとなく書いてみました。)
  
ポップな書き出しとは裏腹に
私は汚れた舌フェスの影響をまだ引き摺っていて
今週末は最終回に白川さんが言った
「人に好かれるための努力なんかやめてしまえ」という言葉が
頭の中を堂々巡りしていました。
    
私は営業の仕事も経験し、
その他の業務も経験した上での結論として、
人に好かれる、愛される方が
仕事がし易く、生産性も上がると考えていました。
   
組織人としてだけではなく
個人事業主、経営者だったとしても
同じく人に好かれる、愛される方が
仕事をし易いと思っています。
  
ただし、それは仕事で目的(タスク)を達成するための
手段(方法)、マナーとしてであります。
OL経験の豊富な内館先生もその辺りのことは
当然わかった上での上記の台詞でしょう。
  
「人に好かれるための努力なんかやめてしまえ」というのは
「人に嫌われろ」と同義ではなく、
「人に好かれることを目的とする努力」をやめろということなのです。
  
手段の目的化
  
人生にはよくあることですが、
人から好かれることを目的に人生を生きてしまうと
自分が辛くなり、能力も発揮できない。
時には人に嫌われても、自分の意思を通す強い力を持てと。
  
私が自我が強いからなのでしょうか。
愛されるためだけに生きるのはやっぱりできないです。
だから、「人に好かれる努力なんかやめちまえ」という
言葉が身に沁みたのだと思います。
  
でも、最低限人に嫌われない振る舞い、敵を作らない振る舞いというのは
人生をよりよく生きていくための手段(方法)、エチケット、マナー
としては必要と思っています。
  
なんとかこういう解釈をつけて
この熱した鉄のように熱い台詞を飲み込もうとする
私なのでした。内館先生、恐るべし。