○○○○ 2.0

記号みたいなタイトルですね。
  
ちょっと古いのですがweb2.0という言葉が
昔流行りましたね。
2.0をつけることで次の次元に入ったことを意味するようです。
要はバージョンを意味するのが2.0ということなのでしょう。
  
○○○○には私の本名が入って
○○○○2.0=肉乃小路ニクヨ
というように
これからなるのだなと昨日思いましたので
備忘録として書き留めておきます。
  
内館先生の汚れた舌フェスはまだまだ続いています。
男女の自立を謳っている内館ドラマですが
気持ちを試す試練として、よく家族の繋がりを使います。
  
年下の男というドラマでは
娘が好きになった男を母親が取ってしまうということで
母と娘の人間としての女としての自立、自覚を問い、
今回の汚れた舌というドラマでは
母親が恨み殺したいと思っている男と娘がデキてしまうということで
嘘や疑念を交えながら、最終的にはそれぞれの自立、自覚を試します。
そして自立、自覚のできていなかった母親を殺すという
おっかない展開を用意していました。本当に容赦ないわ。内館先生。
  
この展開と前回の記事で書いた
「人に好かれるための努力なんてやめてしまえ」
という台詞から、私はハッキリと
「親に対してさえも、好かれるための努力なんてやめてしまえ、
 それくらいの覚悟がないと、必ず揺らいで、自立なんて有り得ないぞ」
という強烈なメッセージを内館先生からもらった気がします。
    
私は三人姉弟の末っ子長男です。
無力な子供時代の競争の中で
末っ子の私は習性として
「親に好かれるための努力」を物心ついた頃から
無自覚にそして当たり前のようにやってきた人生でした。
「人に好かれるための努力」とは人間で言うとおそらく根源は
「親に愛されるための努力」とも言い換えることができるのではないでしょうか。
    
その甘えた根性について、徹底的に問い詰められたドラマでした。
そして、私もアラフォーになり、
やはり、親離れというのをハッキリとしなくてはいけないのではないかと
覚悟したのです。「遅えよ!」という言葉、ごもっともです。
でも人にはそれぞれのタイミングと時期があるのです。
  
親離れとは言い換えると血縁家族離れです。
これは墓を踏み倒したり、家族を痛めつけたりするのではありません。
家族からどう思われても、自分のすべきことをする。
そのことで家族から非難の目を浴びても、止められても
自分の思うことをする。
今までもやってはきましたが、
遠慮、負い目というものに縛られていた気がします。
  
私は今までの自分を変えたいと思いました。
だから、私は○○○○2.0になるのです。
  
でも、これ、去年の秋に出た中島みゆきさんの新曲「恩知らず」を
聞いた時からずっと抱いていた感情が
内館ドラマの台詞やストーリー展開が引き金となって
言語化されたたけなのです。
  
おっかないね。内館ドラマ。
恐ろしいね。内館ドラマ。
でも大好き内館ドラマ。