女装の錨

昨日、人間の持つ錨(いかり)のような習性について書いてみましたが、
女装にとっての錨ということについても
ふと考えていました。
  
女装というのは奇抜な行動です。
ある意味常識破りです。
また、時にビッチと呼ばれるような意地悪を演じることもあります。
  
しかし長く続けている女装というのは
私の経験上、意外とさっぱりして礼儀正しい人間が多いです。
(私の経験値がドラァグクイーンさん中心なのでサンプルは偏っていますが)
私はそこに女装をじっくりやる上での錨を見るような気がしています。
  
表面的な奇抜、ビッチという思いだけで突き進むと必ず難破船になります。
17年やっているとそういう人間が淘汰されていくのを何度か目撃しました。
  
突飛なことをする人間は全てが突飛だと破綻するのです。
  
おかしな部分がある人は同じくらいちゃんとした部分がないと成立しない。
だから長く女装を続けている人はさっぱりして礼儀正しい人が多いのです。
逆に、全部がちゃんとしていなくても良いということも同時に思います。
長く続けている女装はやっぱり少し変です。
  
つまり全部がちゃんとしていても破綻するのです。
  
ちゃんとしたり、ちゃんとしなかったり、
男らしかったり、女らしかったり、
そうやって錨を下ろしながら、行ったり来たりを繰り返し
日常というのは過ぎていくのです。
  
だから日常もとても面白い。
  
時に錨を上げて遠出をするのも素敵なことですが
身の回りの日常の小さな往来の面白さというのも忘れずにいたいです。
  
そして、願わくば、人の日常の旅にも寛容になれて
いつだってボンヴォヤージュと
声をかけられる女装になりたいと思う私なのでした。
優等生的発言だったかしら。ふふふ。