毒をんな

先日の記事でもっとみんながふざけたら、
ネット世論などの傾向と違った視点で
物が見られるのにというようなことを書きましたが
この記事を書いてからずっと私の中で「Cabaret」という
映画・舞台が蘇ってきました。
   
「Cabaret」という作品は敬愛するボブ・フォッシー作の映画で、
舞台化もされたエンターテイメント作品であり、
よく出来た反戦映画でもあるのです。
  
舞台は第二次世界大戦前のベルリンのキャバレーで
ドイツの右傾化と人種弾圧が始まった頃の様子を描いた映画です。
時代が進むに連れて世の中が無駄なもの、ふざけたものを排除し
近視眼的に戦争になだれ込む様子が的確に描かれています。
  
私は主役のサリーが最後に決意をこめて歌う
映画のタイトルソングでもある「Cabaret」を聞いた時に
芸能を志したものは生産的でない人間かもしれないけど、
徹底的に「ふざけがかり」をやらなければいけないと思ったものです。
サム・メンデス演出の舞台ではラストがもっと衝撃的な結末になっていました。
  
だから、企業イメージとかコンプライアンスとか
人権保護とか平等というの名の下に既存のメディア・教育から、
ふざけたもの、毒のあるものが少しずつ排除されて、
その反動が、新しいメディアであるネットの右傾化に繋がっているのが
とても気持ち悪く感じるのです。
  
そういう点ではナチスと本格的に向き合ったことのある
イギリスのブラックユーモアの視点というのはドギツイけれども
やっぱり目からウロコがポロッと落ちることもあって
私はたまらなく好きです。
  
イギリス発のモンティパイソン、アブソリュートリーファビュラス、
リトル・ブリテンといったコメディーはみんな頭がおかしいです。
   
毒を含んだものを許容できる人間でありたいし、
そういう社会だといいなとずっと思ってきました。
もしかしたら、ニューレディーという存在も
自ら毒となって、世に問うてみたいという、
私の止められない欲求が具現化したものなのかもしれません。
  
私は毒。
  
なんとなくこの台詞言ってみたかっただけです。ふふふ。