不平等は当たり前

先日、親類の子供に会う機会がありました。
子供は特別に嫌いでも好きでもありません。
ただ、子供扱いというのは苦手でなるべく普通に接します。
  
その時も普通に相手にしていたのですが、
私が優しくて美人だからでしょうか、
だんだんと子供がはしゃいで、その行いが目に余ってきたので
私は暴れる子供にこう言いました。
「いいかい。世の中は不平等で、愛されるものと愛されないものがいる。」
「愛されないものには人生は辛く、険しい」
「私は小さい時から愛される努力をしてきた。君の振る舞いは愛されるものか?」
それでもあまり言うことを聞かなかったので、
「子供の時は周りの大人に媚を売りなさい。媚を売ると得をする。絶対だ。」
「税金払ってから刃向かえ」
  
大人げないといえば大人げない注意です。
でも身内だけに見せた私の本音です。
  
世の中が平等だなんて私は信じていません。
子供の頃からそうでした。
だって平等だったら努力をする意味がないから。
不公平・不平等があった方が燃える。そういう人間です。
表面上は平等や公平を重んじるようにしなければならない
ということも理解していますが、実際は私自身も
かわいい方には甘く、そうでない方には冷淡です。
  
ただし人に愛されたい、人に気に入られたい。
というのは根底に野心がないとただの虚栄心です。
ただの虚栄心というのもそれはそれで可愛いものですが
それだけでは必ず身を滅ぼします。
  
また、愛される努力というのはある程度までの関係には有効ですが
密度が濃い関係になると、努力をして維持しようとすると
自分が疲弊してしまって結局うまくいきません。
自分の本来の特性との相性が重要になってくると私は思います。
  
だから、損得抜きでずっと身近でいたいと思う人には
自分の本性を出せる、相性の良い人を探さないといけないのです。
  
と、ここまで書いて、私自身が極度の恥ずかしがりだということに
気づきました。
それでか、好きな人の前でも
一般的な愛される振る舞いばかりをしてしまい、
密度の濃い関係になれないのだわ。
  
私の本心や本性を知っても、
あなたはまだ私を愛してくれるかしら?
ふふふ。