豊かな生の裏側

名古屋で奔放な生に触れた私ですが
その時にふと感じたことがあったので備忘録で書いておきます。
  
それは夏の晴れた朝、熱田神宮にお参りに行った時のことでした。
敷地内の樹木の枝振りが奔放ということはいつもいつも思うのですが
その日は蝉や虫の声が賑やかに聞こえていました。
  
蝉は特にそうですが、外に出て鳴き始めたら、命が短い生き物です。
今これだけ物凄い数が鳴いているということは
物凄い数、死ぬということだということを急に思ったのです。
  
豊かな生はその分多くの死を作る。
  
でもそんなことを関係ないくらい
虫たちは鳴き、生を生ききっているのです。
こんな街中でもそうなんですから、
森や山や海はもっとそういうことなんでしょうね。
  
しかもそれが何億年も続いている。
  
今まで通算でどれだけの生き物が死んでいったのかしら。
よく考えたら化石燃料というのも動植物の死骸からできていて
私達はそれらの昔死んだ生き物の堆積物で生活を営んでいるのです。
  
そう思うと私たちの存在も地球という星の巨大な生命体の
新陳代謝の一環に過ぎないという気がしてきました。
  
虫や植物や動物と同じ。
ただ生を生ききって地球の堆積物になる。
でもそれは決して嫌なことじゃない。
  
ふとそんなことを考えた夏の日の朝でした。