まわり道

学生時代、とてもとても仲の良い友達がいた。
先輩後輩だったから礼儀を持った付き合いだったが
あの時分を思い出すと、多分世に言う親友だったのではないかと思う。
(親友という定義がわからないし、お互いをそう呼び合ってもいなかったので)
  
その彼女(オカマ)の名言として忘れられないのが
「オネエは最短距離だよ!」という言葉
  
彼女はとても優秀な人で
努力をしながらいつも格好よく人生を切り拓いていた
優秀だから一流企業に入り、そこから先もしっかりと
キャリアを積み重ねている。
  
ある時から私はそんな彼女と疎遠になってしまった。
私が落ちこぼれたからだ。
病気になったり、根性がなかったり、愚図愚図しているうちに
生活環境が変わってしまい、連絡があまりないようになった。
  
生活レベルによって、人は付き合いが変わる。
  
というのは多分本当だろう。
それは高いレベルに行ったものが傲慢になったからではなく
留まっているものが卑屈になったからということの方が
多いような気がする。
  
生活レベルが上がる人間は社会に重宝がられているので
大体は性格が良い。(まれに違う人もいますが)
  
私はニートワーキングプア派遣社員とまわり道をしながら
いつしかまた普通の男のレールに乗り込んだ。
苦しい時代を経て、やっと得た良い企業の正社員の座で
追いつけるかもと思った。
  
だから私は馬車馬のように働いた。
昇進もしたし、給料も同世代よりも多分たくさんもらうようになった。
だが、体を壊してまた休養を強いられた。
  
思えばまわり道ばかりでなかなか進まない不器用な人生だった。
  
でも、今思うと私はこの人生を好きで選んだんだなと思う。
最短距離で進んだら見えなかったものが見られたし、
悔しくて天井ばかり見ていた日々も経験できたし、
嫉妬に駆られて吹き出た醜い感情が
自分の中にあるというのもわかった。
コケたり、まわり道をしなければ
気づかなかったことで学び、
出会わなかった人たちに支えられてで生きている。
  
そして今、そんな状況や周囲を愛している。
  
もちろん最短距離で行って、遥か遠くの景色を見る人たちも
素晴らしいと思う。なかなかできない、見られない景色だ。
  
でも世界は多様で、だからこそ世界は素晴らしい。
今はどんな状況になっても、よく見て落ち着いて行動すれば
そこそこ楽しく人生が生きられるのではないかと考えている。
まだまだあまちゃんですが。
   
自分らしくという言葉は大嫌いだが、
自分というものから逃げられないのは事実で
自分は尊重し、大切にしたいとは思う。
  
何でこんなこと書いたのだろう。
最近仕事上で最短距離を進もうとする人間のことについて
考える機会が多かったからだ。
  
今日も一日やったるで。