過ぎてから気がつく

オリンピックがその最たるものですが
スポーツというのは
その優劣や勝ち負けが明白になるから
みんなが熱狂して観戦するのではないかと思います。
(採点競技に関しては審判の主観というのが問題視されてはいますが)
   
で、私は今回のオリンピックを通しても気がついたのですが
そういうメダルの色とか順位を気にしない人間になっていたんだなということです。
10代、20代の頃の私はとても負けず嫌いで、好戦的で、
勉強では偏差値や順位、スポーツ観戦でも勝ち負けにこだわりを強くもっていました。
  
そのことを具体的にあらわすエピソードとして、
勝負事が好きなので、昔は新聞のスポーツ欄も端から端までチェックしていました。
たとえばバドミントンの強かった選手のインドネシアのスサンティさんとか
女子テニスの珍名さんの雉子牟田明子さんとか、
女子テニス強豪校園田女子とか夙川学院とか
女子陸上の筑紫女学園とか宇治高校、
女子陸上の実業団チームは京セラが強いとか、
プロ野球近鉄新井さんの打率とか、大石大二郎さんの盗塁数とか、
個別チームの勝ち星や勝率など、
もう今となってはどうでもいいマイナー情報を嬉々として毎日収集していたのです。
 
それもこれも私が勝負事に執着を持っていた証だと思っています。
普通の男として立振る舞う時にはプロ野球のマニアックな話やF1の話をして
盛り上がることができたくらいですから。ピットの川井ちゃん情報とかも
喜んで聞いていましたし。
  
でもそんな私が
気がつくとスポーツの勝敗にほとんど関心がなくなりました。
去年のプロ野球の優勝チームが楽天であることはさすがにニュースで知っていますが、
他の順位や、一昨年の優勝チームなんかについては
もうわけがわからなくなりました。
  
他のスポーツもぼんやりと見るようになっていました。
その延長線上でオリンピックのメダルもそんなに執着がなくなっています。
勝った、負けたとかそういうのがどうでも良くなっていたのです。
唯一浅田選手については例外でしたが
その浅田選手でさえ、順位とかどうでもいいと思う自分がそこにいました。
  
たぶん私は明白な勝ち負けとか客観的な勝ち負けと呼ばれるところから
降りたんだ
ということに今更ながらに気がつきました。
  
独自の道を行くと決めたことは
こういうことなのかもしれません。
つまらなくなったと言われたら
つまらなくなったねということかもしれません。
年をとったね、と言われたらそういうことなのかもしれません。

勝負事より面白いことや気になることが
毎日たくさんあって、そちらに目を奪われます。

ということで今日は私自身が体験した変化について
備忘録として書いておきました。
いつも備忘録ばかりですみません。