たとえどんな名前で呼ばれる時も

女子フィギュアのことを書くと思いました?
観ましたよ、もちろん、生で。
でも、皆が感動したっていう時に
私はそれを書きたくないんです。
天邪鬼なこの性格、堪忍えぇぇ。
私とすぐにフィギュア談義をしたいならば
お店に遊びにいらしてください。
ほほほ。
  
昨日まで3日連続女装をしました。
女装家と呼ばれたり、
オネエと呼ばれたり、
ニューレディーと呼ばれたり、
オカマと呼ばれたり、
松坂慶子さんと呼ばれたり、
まあとにかくいろいろな呼ばれようでした。
  
私自身はニューレディーという呼び名を一押ししていますが、
どう呼ばれようと求められることは幸せだなと思い、
ただそこに咲くだけの花であろうと思うようになりました。
  
昨日は草加のsoka80さんという素敵なレストランで
ショウをしたのですが、そのタイトルが
「真冬のオカマフェス 第二弾!」
というタイトルでした。味わい深いイベント名ですね。
  
「オカマ」というと差別用語だとか言われてますが
私はあまり気になりません。
むしろ笑ってしまい、自分で好んで言うこともあります。
語源をたどれば、差別、侮蔑の用語ですが、
私自身も他の人と自分は違うということで
仕事をしているので、
どちらかというとむしろ差別されることは
ラッキーぐらいに思っています。
性質が悪いですね。
  
「オカマ」という差別のされ方を侮蔑されている
と解釈もできますが、
人の心にある侮蔑と敬愛は表裏一体なので、
そのコインをひっくり返す努力さえすれば
大抵の嫌なことというのはカタがつく
ということを経験上知りました。
  
だからこそ差別があるとむしろ
「チャンスだわ」と思ってしまうのです。
   
ただしこれは私が世界一安全で理性のある国に暮らしていて、
悩んだり傷ついたりしながらも
そこそこ図太く、健康で強い状態だから言える言葉だと思います。
    
差別が人を死に追いやるような弾圧のある国だったら
また差別や侮蔑を跳ね返す力のない繊細な人や若い人だったら
忌避したい言葉やレッテルであるということも同時に理解できます。
  
だから私はそれを推進するわけではありません。 
ただ平気で、それをチャンスとして捉えているだけです。
また、こういった性質の悪い捉え方が侮蔑している人を
バカバカしい気持ちにさせる一番の方法とも思っているので
性質が悪いレディーになることを目標にしています。
  
よく考えると「オネエ」という言葉も同様です。
以前の記事で
「オネエになり損ねた私」 http://d.hatena.ne.jp/nikuyo/20110713
ということを書いて、実は「オネエ」と呼ばれることに
抵抗があると書いていましたが
ここ最近の活動で、もはやどう呼ばれようが
「私は私だ」ぐらいで、むしろ「オネエ」と呼ばれている時には
そっち(オネエ)に寄せて対応しましょうか?
くらいになりました。
歳月は人を変えるのですね。
たった3年で、、、
  
草加の皆さんは「オカマフェス」という略称で
楽しんで参加されていて
大勢の方が観に来てくれて、喜んでくれました。
スタッフの皆さんもとても親切で丁寧で
そのことだけで参加できてとても幸せに思っています。
  
こだわりがなくなることは反面
こだわりを失うことかもしれません。
  
でも、そのこだわりを無くしたら、
次のこだわりができるかもしれません。
人間というのは執着やカテゴライズをやめられない生き物ですから。
  
願わくばそのこだわりが
面白くておかしいものならばいいなくらいに
考えています。
  
そしてどんな名前で呼ばれようと
そこに咲き続けて香り続ける花になろうと思った夜でした。
  
えっ?花は花でもラフレシア
  
できれば薔薇でお願いします。