らしさが苦手な理由

先日のばっさりカットをされた部分で
ニューレディー時とおっさん時のどちらが自分らしいですか?
ということを聞かれました。
 
私はここでも度々書いていましたが
「自分らしさ」にこだわることにあまり興味がありません。
なので答えとしては
自分らしいということは意識をしていない。
どちらの時も同じ自分で、
大事なのはそれぞれの状況下で
自分ならではのことをできるか、
ベストを尽くせるかと思っている。
というようなことを回答しました。
  
「らしさ」について
結果として周りが「あの人らしいやり方だ」と言う事はあっても
自分で「自分らしさ」に拘ることは、あまり良いと思えません。
  
こだわるべきは
自分ならではの能力が発揮できているか?
その状況は楽しいか?
ということだろうと。
  
だから、私は「自分らしく」とか「自分らしさを大事に」
なんてもっともらしいことを言う人を胡散臭いなと思いながら見ています。
    
ミスチルさんの歌ではないけど
「自分らしさの檻」というのは本当にあると思います。
「らしさ」というのはエスカレートすると「こうであるべき」と
自分を縛る檻になります。
「こうであるべき」というのは「正しさ」となり
その「正しさ」を他人にも押し付けようとします。
  
私は多くの人が生きていく中でルールは必要だとは思いますが
「正しさ」については共有する必要はないと思っています。
自分にとっての心地良さがあるように、
他人にとっての心地良さもあるんだということがわかれば、
「正しさ」をもとに行動しなくても
十分に自制した行動が取れると考えます。
  
そういう考えからなのか、
正しさを強要するようなタイプの宗教、
イデオロギーなどを好きになれない私がいます。
  
子供を作るべき、家族を持つのが正しい
と正義を振りかざされているからでしょうか。
私はどうしても正義というのが好きになれません。
  
ただ、人は自分が良い状態の時ばかりとは限らないので
強い「正義」に頼りたくなったり、
その「正義」を信じている人同士で助け合い、
実利もあってなんとか生きていくことができたりすることもあるので
そのことを糾弾できるほど、私も「正義」を持っていません。
  
「らしさ」にこだわるというのは
その正義につながる最初の種のような気がして
本能的に遠ざけたいと思っています。