タイミングの個体差

昨日に続いて、まだ個別解ということを考えている執念深い私ですが、
解自体が個別であると同時に
解を出すタイミングも個別であるなと思いました。
  
気付いていたことが
自分の身となって解かるのも
その人のタイミングなのです。
  
私は偉そうに見えるのか
昔からけっこう相談をされるタイプなのですが、
昔はすぐに解に導こう、解に導こうと躍起になって
ズケズケ、ビシビシ言って、
無理やりでも導いてあげるのが愛情だと思っていました。
  
でも、ズケズケ、ビシビシ導こうとする、
配慮の足りない20代というのは
鼻につくものなのでしょう。
良かれと思って言った事で、
逆に恨まれたり、嫌われたりしたことがありました。
    
今になって思うのです。
解らしきものに気付いていても
そこにたどり着くには
人それぞれのタイミングがあると。
  
のどが渇いていない馬に
体にいいからと水を飲ませようとしても
飲まないのと一緒です。
  
思い返せば私自身もそうでした。
周囲が言っている言葉が正しいのを知っていても
意地を張っていた時代もありました。
  
気付いていることを自分が受け入れる段階に行くまでも
それぞれ時間がかかるものなのです。
  
だから
今は相談を求められた時はヒント的なことは言って
基本は生暖かく見守るということにしています。
 
あなたのタイミングでどうぞ。
  
この配慮に気が付くまでに何年かかったのだろう。
人に配慮すると同時に自分の解を進める時も同じように配慮をしたい
と思った春の朝でした。