わかりあえないことのありがたさ

GWは平日は暦どおりに働き、
休前日の28日と土日の3日4日は夜の街で働き、
5日6日は家族サービスで実家で働くという
休みがまったくない日々でした。
   
といっても疲れきるまで働くのではなく
ダラダラと粛々と仕事を片付けているだけです。
  
4日には急な告知にもかかわらず
ブログ読者の方にたくさん会えました。
皆さん、お優しいのね。ふふふ。
  
幸せな気分で3日4日を過ごしましたが
5日6日は会って3分で喧嘩をして、
夕飯を食べないで不貞寝という39歳の
大人がやることとは思えない行動をとりました。
  
いや、夕飯作っていてくれたなら悪いので食べますが
作ってなくて、適当にやってくれと言われていたので
食べないで寝ただけです。
  
まあ今回もここ5年くらい続いていることの
ほぼ同じ内容の争いなんですが、
年月が経過すると老いという哀愁も要素に加わり、
なかなか味わい深いものになっていくものです。
  
ただ、今回は争いをしている自分を客観視することができて、
不貞寝というかたちでもいったん引いて
部屋に引き篭もるという対応策を取れたのではないかと思います。
そして、気がついたのが、この高く厚い壁があるから
私は私の自覚が持てるのだということです。
  
何度篭絡しようとしてもできない壁
その度に自分を省み、反省もすれば、
なにくそと思うこともあり、考え、悩み、
また行動に移し、ぶつかる。
 
よく考えると、私はこういう作業を
もう5年以上続けてきたのだと。
  
おかげでだいぶ考えもまとまってきましたし、
争いの中で自分が口にすることから
ハッと気がつくことがあります。
  
今回もお墓の管理のことを持ち出されたので
それに反論する形で
死んだ後のことを語っている自分に気がつかされました。
  
死んだら、その生はそれで終わり。
次の生まれ変わりのスタートをする。
だから、親の分はお墓に責任を持って入れるけど、
自分はそこにあまりこだわらない。
  
なんてことも話してたりして、
やだ、私、そんなことを考えていたのねと
自分でもびっくりしたこともあります。
  
死生観についてはやっぱりみゆきさんの影響が強いですね。
  
まあその他、一度お互いに火がつくと
言いたい事を言い合う。
そして、翌日何もなかったように頼まれた仕事を行い、帰る。
  
そんな関係もいつまで続くのかわかりませんが、
今回は帰り道で泣くこともなく、
わかりあえないから、反論したり、説明したりできる。
なんてことを考えながら帰っていました。
  
だからたぶん、あの人がいなくなったら
私、寂しくて、すごく泣くんだろうな。と。
  
周りには我が家の状況からは考えられないほど
子供に理解のある家族というのもいますが、
わかりあえない、それでも家族。
という形があっても、それはそれで肥しになるもんだと
よくわからない形で結論付けた
39歳直前の5月の午後でした。