パブリックとプライベートとセクハラの間

セクハラやじの問題、
大変話題になっていますね。
  
私はどちらかというとフェミニストなので
もちろん、この発言はいかがなものかなと思うのですが
内容としては私生活でよく言われることです。
  
私も女性ではありませんが、
親や親戚から終始、「結婚しないのか?」と
聞かれます。
さすがに普段はおっさんの姿をしているので
「産めないのか?」までは聞かれませんが、
「孫の顔が見たい」という趣旨のことは言われます。
  
もちろんその度に「セクハラっ!」と訴えていては
円滑な人間関係が営めないので
距離を置く、もしくはスルーという対応をします。
たまにスルーできない状況では口げんかくらいはしますが。
  
さて、今回の問題はおっさん達が
都議会の議場をパブリックではなくプライベートな場所と錯誤して
その延長線上で野次を飛ばしたら、
SNSを通じてその野次が拡散してしまい、収拾がつかなくなった。
  
というのが客観的な出来事なのかもしれません。
  
だけど、悲しいかな、仕方ないかな、
セクハラはプライベートな部分では多分なくならないと思います。
なぜなら人間というのは
元来セクシュアルでバイオレントな生き物で
性交を前提に体が作られていたり、
暴力を背景に、力で周囲を支配したいという欲求を
本来的に持っているからです。
  
(参照) 過去記事-性と暴力とニューレディー
http://d.hatena.ne.jp/nikuyo/20120927
   
特にメンタルの弱いオス(おっさん)は
セクシュアルであったりバイオレントになる傾向があります。
ほら、最近は女子でも流行っているでしょう、マウンティング女子とか。
あれのもともとの姿です。
  
で、結局は何なのかというと
闘いなんです。
先人たちが公の場で悔しい思いをして、
勝ち取ってきた結果がパブリックな場所でのセクハラ禁止なんです。
  
性と暴力の暴走に歯止めをかけるものが法律や法令で、
今回は条例という立派な法令を扱う都議会という場所で、
起こったことだから、問題になったのです。
  
立法を担う都議会というパブリックの場所で
セクハラをした人間というのはそれなりに処する必要がありますが、
その内容についてまでは私は単純に糾弾することができません。
  
その内容はプライベートでの
自分の親から言われていること、親戚から言われていることで
親しい仲では言い合っていることなので、
そこまで糾弾すると、かえって息苦しい世の中になる気がするのです。
  
私自身は
結婚しない、子供を産めない、
ということを安易に人に話す人は軽蔑していますが、
それは個人の心の中で思うことで、
あからさまにその思想の内容を糾弾しようということは
したいとも思えません。
  
だったら
結婚をしない、子供を産まないでも楽しそうに生きている、
社会の役に立っているということを実践して行くこと。
そして、そういう生き方もあってもいいなと思う人がそれで増えていく
という方が私好みのやり方です。
まぁたまに睨み返すくらいのことはするでしょうが。
(元来が負けず嫌いで、勝気な性格のため)
  
闘いのやり方にもいろいろあるのです。
正面切ったやり方だけでなく、
心で軽蔑し、距離を置き、力を付けて自分の生き方を通すというのも
私はひとつの闘いだと思っています。
  
今回、パブリックの場でセクハラをしたということは
処されるべきですが、
その内容まで糾弾して、焙り出してボッコボコにしてやろうという
人もいるような気がして、
それっておっさん達が今までやっていたマウンティングと同じじゃん
って思ってどうも好きになれないのです。
  
♪正しさと正しさが相容れないのは、いったい何故なんだ♪
「Nobody is right」 中島みゆき
  
正しさを押し通そうという人たちは
一度上記の曲を聴いてみると良いなと思います。