女装の科学

今更ながら小保方さん論争から
私が気がついたことを書き留めておきます。
 
あった、なかった
つくった、つくらなかった
 
私にとっては先端過ぎる事象でのお話なので
正直どっちでも良いお話なのですが、
検証する段階で出てきた科学の重要な原則である
「再現性」という言葉がずっと私の心の中にとどまっていました。
  
再現性、
実は女装でショウをする時、
私の場合は主にリップシンクロ(口パク)のショウなんですが
あたかもそこでその人がやっているような再現性、
というのをとても重視しています。
 
歌っていないのにそこで歌っているような感じ、
ファッションもコピーではないにしろ
曲と音源を邪魔しないもので、
あたかも自分が本当にやっているかのように再現する。

そのために、オリジナルの曲の世界、歌詞の世界を研究し、
エッセンスをつかみ、それを自分の肉体を通じて再構築する。
  
「ものまね」と似ているような気もするのですが
完璧な世界観のコピーというのが「ものまね」。
世界観の再構築、再編成をしつつ、
そこにデフォルメや再現側のオリジナリティが紛れ込まされているのが
リップシンクロ(口パク)のショウという感じなんです。
  
私は「ものまね」もすごいなと思いますが
オリジナリティが強烈なので、リップシンクロ派ですかね。
  
こうしてみると女装も科学で
しかもドサ回りでたびたび再現を求められるので
その精度が上がっていきます。
  
再現性という言葉はとても気に入っていて、
私はこの言葉を通じて
小さい子供に「どうして勉強しなければならないの?」と聞かれた時に
ようやく答えられるような気がしています。
  
勉強をする意味は
「うれしい」と思ったり
「楽しい」と思ったり
「おいしい」と思ったり
「きれい」と思ったり
そういうことをたくさん再現したり、人に伝えたりするため。
  
「悲しい」と思ったり
「辛い」と思ったり
「まずい」と思ったり
「汚い」とおもったり
そういうことをより少なくするため。
  
国語はそのとき感じたことを記録するための語彙や
伝えるための文法を増やして、もっと豊かに表現するため
  
算数は数字という記号や数式を通して、
身近で起こったことを整理して、論理的に理解したり、伝えたりするため
  
理科は身の回りの物や生き物、自然現象やそのしくみを理解したりして、
それを有効に使いながら賢く生きていくため
  
社会は地形や気候や歴史を知ることで、今という時代、起こっていることが
どういう経緯や影響を受けて成り立ってきたかを知って、生活にいかすため。
  
私は今回のスタップ細胞騒動を受けて、
再現性という言葉を改めて考えてみました。
その本来の言葉を確認することで、
そもそも科学とは、教育とは
本来、「しあわせ」の再現をするために発展してきたものなんだと
改めて知ることができました。
  
昔は「しあわせ」なことは非常にシンプルで
物質的に豊かになることだったのではないかと思います。
  
物質的な豊かさがある程度いきわたり、
「しあわせ」の定義が難しくなってきたこと、
専門分野が発展しすぎて、本来の目的とは別に
その分野独自の進化を遂げたこと、
科学が立身出世の道具に使われたこと、
  
現実では問題が山積しています。
  
でもそれすらも科学的視点に立って、
整理分類できるのではないかと私は思います。
今回のことは私のようなのほほんと生きている女装にも
考えるきっかけを与えてくれたので、
そんなに悪い話ではなかったように思います。