役者修行

嘘ということに 最近こだわって書いてきましたが、
嘘を言い換えると芝居ということになります。
  
嘘は芝居に言い換えられて、
私は芝居が大好きで、
だからと言って私は詐欺師や犯罪者の方のように
人を騙して傷つけたり、物やお金を盗ったりもしません。
  
そもそも囚人の話や人を騙す筋があまり好きではありません。
それなりにルールを守って、マイライフという名のお芝居をしています。
  
親子の縁、友達の縁、不思議な縁はたくさんありますが
無意識に自らプロット(筋)を組んで、
脚本を書きながら呼び寄せた登場人物と言われたら
そのような気もします。
  
若い頃は自分のストーリーを生きるのに精一杯でした。
演技のスキルもまだ未熟で、その習得で手一杯。
不器用な私はいつもスキルの習得が遅いのです。
  
中学、高校、大学、会社とステージが変わるたびに
そこでどう立ち居振舞って良いものか、何を言ったら良いのか
戸惑いながら、開き直りながら、
ゆっくりとそのステージにあった芝居を学んでいきました。
  
そもそも人間社会全体が大きな舞台装置なのかもしれません。
  
悲劇、喜劇、サクセスストーリー、転落記、ラブストーリー、
不倫、闘病、ミステリー、スポ根、冒険、ナンセンス、エロティック。
いろいろな種類のお芝居の経験を積むと自分の演技の幅、役の幅が広がります。
  
経験を積むうちに、最初は自分と周りだけしか見えていなかった舞台に
たくさんの人がいることに気がつきます。
そして自分と同じように、みんな与えられた役割を演じているのです。
自分中心にしか見えていなかった劇が
群像劇に変わっていきます。
  
家族や友人を持つと
もしかしたらサポートをする脇役に喜びを見出すようになるかもしれません。
  
ただ、もし、今の自分の役や芝居が嫌になったら
辞めたり、筋を変えたりして、全然良いのです。
舞台を変えるのも良し。
  
どんな舞台でも自分の力を発揮できる場所を探せば良い。
今共演している人に迷惑がかかる
というのもよくわかりますが、
一番大切なのは自分です。
  
自分の役は誰も代わってくれません。
だから共演する人が納得できる筋を準備すれば
舞台を変えることは決して悪いことだとは思わなくなりました。
また、本当に心底嫌だったら黙って変えても良いのです。
  
軽薄
  
と言われたらそうなのかもしれません。
でも、軽やかさのない、重厚な人生が好きな人もいれば
軽薄だけど、軽やかな人生を望む人間もいるのです。
大事なのは自分がどういうタイプの役を望むのか正直になること。
  
そう考えると、意外と思い切った決断をし易くなるのかもしれません。