チンパンジーになって見えること

好きな映画、ミュージカルに「Cabaret」という作品があります。
その中の「If You Could See Her」というナンバーで
チンパンジーの彼女を持った男が
僕と同じ視点からみんなも見られれば、
と歌っている曲があります。
  
チンパンジーという外見だけど
僕がそうしたように、あなたも彼女のことを知れば、
あなたの視点も変わる
という内容で、
ナチスユダヤ人迫害政策を皮肉る歌です。
  
Cabaretという作品は強烈な反戦映画だと思っているのですが
その中でも後半の名曲「I don't care much」へとつながるとても大切な歌です。
  
女装というのはその曲でいう
チンパンジーになることだと思っています。
  
ホンモノの女性を目指すニューハーフさんでもなく、
ホンモノの女性になりたい性同一性障害でもなく、
多分チンパンジーになることと同じだと思います。
よく考えたらあらゆる芸能はチンパンジーになることなんですが。
  
大学を卒業してチンパンジーになる子供
親は悲しみ、趣味にとどめておけと、私を諭します。
  
私はそれでも、その願いを裏切り
女装を続けます。
  
何故なら親に教わったことよりも
チンパンジーになって、学んでからの方が視点が広がって
自分が面白くなったからです。
  
私は19歳の時に世界がつまらなくなって
良いことなんかなにもないと思いながら
学校にも行かず、幕張の浜田川の近辺をウロウロしていたことがあります。
身を投げてしまおうかなと思ったことも何度かありました。
  
でも基本はB型ラテン系。
それから2年間ゆっくりと時間をかけて
本を読み、浜辺や橋の下で一人で
歌ったり踊ったりしながら(気持ち悪いですね)、
自分というものを作っていき、
自分を受け入れ、そしてその末にたどり着いたのが女装でした。
  
親の望むことを進んで行って
その先もまったく面白いと思わなかったから
私は自分を変えたのです。
  
そしてチンパンジーになって
私自身の視野が広がり、人に優しくなり、
こんな自分でも応援してくれる人がいたり、
喜んでくれる人がいたりで、
今日まで続けています。
  
伴侶はいないし、部屋が散らかってて
人を呼べないけど、
それなりに頑張って生きています。
  
それだけでは足りないのでしょうか。
それでも我がまま勝手な子供なのでしょうか。
  
いつになっても平行線で、
だからこそ、自分が何故こうなのか
考えることができたということは感謝しつつも、
一抹の寂しさを覚えた12月の一日でした。