不遇な時代は財産

昨日はお店が終わるころに
気の置けない友人たちが来て
それなりにいろいろあった仕事終わりに
その時々にあった考察をお酒を飲みながら交換することができ、
幸せだなと思った日でした。
  
その時、恵まれたところからスタートする人間というのは
そこに至るまでの苦悩を知らないから
なんとも心もとない、頼りない、ガッツがないという話になり
結局は不遇にされた時代が財産になっているという話をしました。
  
私もみかけがおっとりしていて、にこにこするようにしているので
そんなに不遇にされていないと思われがちですが
それは酷い20代、30代でした。
  
20代の頃、女装とゲイばれがきっかけで親に勘当状態にされ
家を追い出されて友達の家を転々とし、
それでもいろいろ諦めたくなくて東京で一人暮らしを始め、
お金もなかった私はそこから4年間、4畳一間風呂なしトイレ共同
という環境で暮らしました。
  
いろいろと仕事を掛け持ちし、
専門学校にも自分で行ったりして、
女装も下積みでいろいろな場所で仕事をしました。
  
衣装があるから狭い部屋はロフトベッドと小さな机とPCくらいしかない
そういう環境で
自分より恵まれた生活をする人たちを見て
いつか追い越してやると思い、
遠くのスーパーまで安売りのものを買いに行き
重たい荷物を持ち、負けないと言いながら
歩いていたことを思い出しました。
  
その頃に考えていたこと
聞いていた音楽は今でも私の土台になっていて
その時に作ったショウは今でも私のベースだったり
代名詞になっていたりします。
  
お金は無くても
たくさんの音楽や本に触れ、センスを磨き
いつかあいつらに追いついてやる、負けないと思った気持で
東京に踏みとどまり続けました。
  
衣装にお金をかけられなくて
あなたのショウはジーパンをはいて演劇をやっている
学生演劇と一緒だという文句や
端切れをまいてショウをやっている
なんてことを言われたことがありました。
  
たしかにその通りでした。
そういう悔しい思いをしたせいか
今は衣装をしっかり用意できるようになりました。
ありすぎて整理がつかなくなっている
捨てられないというのが今の私のちょっとした悩みです。
  
これからももちろん
私は悔しい思いをするでしょう。
私は一流の人たちから見たら
まだまだ足りないところがある人間です。
  
でも悔しがる心、負けたくないと思う心だけはあり
私はそのおかげであの頃に比べると成長できた気がします。
  
貧しさからの脱出、仕事への注力、体調不良との戦いで
私はそういえば恋ができませんでした。
恋をする余裕がありませんでした。
だからこれから狂い咲きが心配です。ほほほ。
  
今年はついに40歳になります。
まだまだ自分の可能性を信じて、投資をし続けて
変わり続けたいと思っています。
  
まだまだこんなもので終わる人間じゃない。
なんてね。ほほほ。
  
欲張り、面の皮が厚い
とも言えますが、私はいつもそういう風に自分を見ています。
根本が楽観的だからかもしれません。
  
だって不遇な時代
と感じるためには
やっぱり自分はもっとできるのに
こんな状況に置かれているという不満がなければ
不遇を感じることができません。
  
そもそも不遇を感じなければ
不遇の先に進めないのです。
  
そして不遇の先に進むための素養が自分にあるのかということを
40代なりの視点で分析しながら
日々を過ごしていきたいと思います。